松平定良は淀藩当時の松平定綱の次男で、
定綱が大垣藩を経て桑名藩に移った後、
その死去に伴い桑名藩藩主となります。
定良は聡明で信望も厚かったようですが、
生来体が弱くて病気がちだった為、
度々有馬温泉に療養に出かけたという。
そして湯治からの帰路の京都で倒れ、
そのまま死去してしまいました。
「圓妙寺」。
定良は病の加治祈祷で日蓮宗を信仰した為、
死後に日蓮宗寺院が建てられる事となり、
※久松松平家は浄土宗。
広大な境内を誇る圓妙寺が建立されました。
「松平定良墓所」。
現在の圓妙寺の境内ではなく、
少し離れた圓妙寺の墓地にあります。
これは現在地にあった大福田寺が移転し、
跡地に圓妙寺が移転したからで、
建物だけ入れ替わって墓地は残された為、
このように本堂と墓地が離れています。
墓所には定良の墓の他に、
殉死した3人の家臣の墓や、
※堀田一可、多賀道次、長瀬政直。
一族の墓、家老服部正辰等の墓もあります。
※正辰の系譜は小服部家と称され、
服部半蔵家(大服部家)の庶流ながら、
初代藩主松平定勝の血を引いており、
藩主一族の扱いを受けていたという。
「妙法塔光徳院殿
朝散太夫圓妙日法大居士」。
定綱流久松松平家桑名藩2代松平定良の墓。
先代の父定綱には定良の他に、
長男で継嗣の松平定次がいましたが、
定良と同じく病弱であったようで、
19歳で病死してしました。
定良が18歳頃に桑名で洪水が起こった際、
自ら率先して領民救助に当たったとされ、
その頃はある程度健康であったようです。
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