井上聞多が総督を務めた鴻城隊は、
長寿寺から常栄寺に本陣を移したとされます。
ただ常栄寺は当時、現在の洞春寺の場所にあり、
藩庁を萩から山口に移転する文久3年に、
移転して現在地にあった妙寿寺と合併。
その跡地に萩から洞春寺が移転しました。
鴻城隊が移転したのは慶応2年頃ですので、
正確には常栄寺跡に移った洞春寺が、
鴻城隊の移転した場所となります。
そういう訳で現在の常栄寺は、
鴻城隊の本陣跡ではないわけですが、
常栄寺の雪舟庭は国指定名勝ですので、
単純に観光として見学致しました。
「山門」。
この山門は御客屋の表門だったもので、
昭和42年に移築されたものという。
常栄寺のある地は大内政弘の別荘があった地で、
雪舟庭は政弘が造らせたものでした。
その後政弘の母が死去した為、
この別邸を菩提寺として妙喜寺を創建し、
その墓所も建てられています。
関ヶ原の戦い後に毛利家が防長二州に減封され、
毛利家の本拠が広島から移転すると、
毛利隆元夫人尾崎局の菩提寺妙寿寺が移転し、
妙喜寺と合併して妙寿寺に改称。
幕末まで藩の庇護を受けていました。
一方、常栄寺は毛利隆元の菩提寺で、
同じく広島にあったものが移転し、
当時あった国清寺と合併させて常栄寺とし、
現在の洞春寺のある場所で隆盛。
幕末に洞春寺に伽羅を明け渡して、
現在地の妙寿寺と合併しています。
ちなみに洞春寺は毛利元就の菩提寺で、
常栄寺、妙寿寺が山口に置かれたのに対し、
洞春寺は本拠地の萩に置かれています。
常栄寺、妙寿寺共に由緒ある寺院でしたが、
藩庁移転に伴う洞春寺の移転の際、
常栄寺がその伽羅を明け渡したのは、
洞春寺が元就の菩提寺だったから。
「前庭 無隠」。
山門を通った先にある美しい前庭。
平成24年作庭の比較的新しい庭ですが、
とても綺麗に手入れされています。
この奥から有料。大人300円。
本尊の千手観音像は国清寺の本尊であったもの。
「南溟庭」。
本堂の前庭。
昭和初期の作庭家重森三玲による枯山水庭園で、
当時の住職に、
「雪舟より下手な庭を造ってほしい」
と頼まれた為に固辞していましたが、
「上手に下手な庭を造ってほしい」
と頼まれた為に築庭されたものという。
「雪舟庭」。
本堂の裏庭に広がる雪舟による池泉回遊式庭園。
三方が山林に囲まれた900坪の庭で、
奥の池泉の手前に芝生の枯山水を配しています。
雪舟作の庭園は結構ありますが、
しっかりと手入れがされているものと、
そうでないものがあって、
雪舟庭園だからと見に行ってみると、
酷い状態となっているものもあります。
この常栄寺の雪舟庭は手入れが行き届いていて、
素晴らしいものでした。
この庭園の奥には政弘の母の墓もありました。
わが子らと雪舟庭。
本堂などに上がると走り回るので、
中々困ったものです。
■関連記事■
・山口県山口市 洞春寺(井上馨墓所)
幕末期に常栄寺のあった場所。
・防府市 桑山招魂場
鴻城隊は御楯隊と合併し整武隊に。