山口県美祢市 美祢宰判勘場跡

長州藩では直轄地を宰判という行政区分に分け、
各地に代官を置いて行政を行わせていました。
宰判には勘場と呼ばれた役所が設けられ、
租税徴収、治安維持、裁判等が行われています。

大田は中世末期以来の大市であった為、
美祢郡を司る宰判勘場が設置されました。

美祢市立大田小学校(美祢宰判勘場跡)」。
美祢宰判勘場跡は現在の美祢市立大田小学校
遺構は皆無ですが瓦葺きの校舎は良いですね。


郷学温故堂 美祢郡役所跡」碑。
学校敷地の南西側にある跡碑。
宰判勘場の跡碑はありませんが、
廃藩後に宰判勘場は郡役所となっており、
後に業務は大田町役場に引き継がれました。
郷学温故堂は校舎裏辺りにあったとされ、
近郊一帯の教育機関として、
天保末期から弘化の始め頃に建てられたという。
これが現在の大田小学校の前身となり、
明治5年に大田小学校が開校されています。


校庭のクスノキは藩政当時のもの。
確かに大きなクスノキですね。

元治元年、絵堂で初戦を飾った諸隊軍は、
大田まで退いて光明寺を本陣としました。
しかし前線から離れていた為か、
この美祢宰判勘場に転陣しており、
更に北側の金麗社に移しています。

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