吉田松陰墓所近くに松陰誕生地もあります。
松陰の祖父杉七兵衛常徳の時代、
城下にあった杉家の屋敷は火災で全焼。
仕方なく団子岩の山荘に移住しました。
※この山荘は藩士で俳人の八谷聴雨の別荘。
樹々亭と呼ばれていたようですが、
これは田上菊舎が名付けたもので、
購入資金は松陰の母瀧の実家の村田家が、
資金を提供したともされています。
ここで杉梅太郎(民治)、寅二郎(松陰)、
千代(兒玉芳子)、寿(楫取素彦室)、
文(久坂玄瑞室、楫取素彦後室)、
艶(夭折)、敏三郎が生まれました。
「杉家宅跡」。
大正11年に敷石が設置されたようで、
建物は無いものの間取りが示されています。
別荘なだけにそれ程広くはなく、
子沢山の家族が住むには狭いものでした。
「吉田松陰先生誕生之地」碑。
宅跡の裏手に設置された跡碑。
跡地の敷石設置の際に建てられたようで、
椿東村青年会が山県有朋に揮毫を依頼し、
建立したものであるという。
「松陰先生産湯の井」。
遺構として唯一残る当時の井戸で、
この井戸の水で産湯が沸かされたという。
阿武郡小学校職員と児童による建立で、
当時の首相田中義一の揮毫とのこと。
現在も萩城下が一望できます。
中央の山が指月山。
杉家は嘉永元年までここで暮らし、
その後清水口にあった親戚の高須邸に移り、
5年間間借りで暮らした後に、
松陰神社に現存する杉家旧宅に移りました。
■関連記事■
・山口県萩市 萩松陰神社
杉家旧宅及び松下村塾が現存。
・山口県萩市 吉田松陰墓所(再訪)①/②/③
吉田松陰及び杉家等の墓所。
・山口県萩市 指月城跡
長州藩毛利家の居城跡。