下関市豊浦町 小野小町の墓

虚無僧墓のお堂の裏手に、
小野小町の墓とされるものがあります。
彼女の墓は全国各地に存在し、
どの墓が本物かは不明。

小野小町平安時代前期の女流歌人で、
古今和歌集六歌仙に選ばれる才女ですが、
その出自は詳しくわかっていないという。
絶世の美女であった事が伝えられており、
老いて美貌が失われていく事に耐えられず、
晩年はを離れて流浪の身となったとされ、
その為に全国に墓が存在するようです。

この川棚の小町の墓もそんなひとつで、
流浪の末に小町は川棚にたどり着き、
親切な村人に囲まれながら、
晩年を過ごして埋葬されたとのこと。


小野小町の墓」。
中央に銅鏡がはめ込まれた小町の墓。
愛用の銅鏡を片時も離さなかったとされ、
これはその銅鏡であるとのこと。
こういうのがあると信憑性がありますね。

僕なりの推測ですが、
小町以外にも地方で晩年を過ごした女官が、
結構いたのではないかと思います。
宮中を辞した彼女らは親族等の荘園を頼り、
その土地で余生を自適に過ごしたのでは?
老いたとはいえ雅な物腰の品のある女性が、
地元で余生を過ごして亡くなった。
後に村人はあれは小野小町だったのでは?
そう思う様になったのではないでしょうか。

これは例えば徐福伝説とか、
楊貴妃伝説などにも置き換えられます。
大陸から来た人が住み着いてそこで死去し、
あれは徐福だったのではとか、
楊貴妃だったのではなどと思う様になり、
それが伝えられていったのでしょう。

もちろん本物かもしれませんが・・・

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