幕末には全く関係はないですが、
女流歌人和泉式部の墓がありました。
和泉式部の墓は全国にあるようですが、
その中の一つとのこと。
青木周蔵誕生地の近くにあります。
糸根川東岸にある墓所入り口には、
「あらざるむ この世のほかの思い出に
今ひとたびの 逢ふこともがな」と、
和泉式部の歌碑が建てられています。
「尊靈和泉式部御墓」。
和泉式部の墓。
先程の歌碑の奥に丘があり、
その上に墓が建てられています。
和泉式部は百人一首の歌人のひとりで、
中古三十六歌仙や女房三十六歌仙に、
その名を連ねる女流歌人です。
恋多き女性とされて数々の浮名を流し、
主に「恋」の歌を詠いました。
藤原道長に[浮かれ女]と揶揄され、
紫式部に素行を非難されてはいますが、
彼女の恋文や和歌は賞賛しています。
晩年の彼女の動静は不明のようで、
全国各地に多くの伝承と共に墓所があり、
この墓もそのひとつ。
ここでの伝承は郷士と恋に落ちて、
一女を儲けて一生を過ごしたとされるもので、
その一女が小式部内侍であるとのこと。
※女房三十六歌仙のひとり。
この伝承から享保16年(1731)に墓が建てられ、
今に伝わっているようです。
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