長崎街道最大の難所である日見峠を越え、
長崎に至る玄関口である一ノ瀬口。
中島川に架けられた一ノ瀬橋の手前には、
旅人を歓迎する茶屋が設置されたようで、
蛍が乱舞した事から蛍茶屋と呼ばれ、
旅立つ人と見送りの人達が別れを惜しみ、
長崎へ来た人と出迎えが歓迎の宴を開き、
様々な人間模様を繰り広げたという。
「一ノ瀬口 蛍茶屋跡」。
長崎電鉄の蛍茶屋車庫裏手にある跡碑。
文化文政年間(1804~1829)頃に、
甲斐田市左衛門が茶屋甲斐田屋を開店。
長崎へ来る旅人を歓迎したようで、
幕末から明治初期の2代甲斐田政吉の頃に、
甲斐田屋は最盛期を迎えていたという。
上記のように蛍の名所だったようで、
蛍茶屋と通称されていたとのこと。
「一の瀬橋と蛍茶屋(現地案内板より)」。
橋を渡った右側が蛍茶屋。
幕末頃の撮影と思われるとのこと。
「一の瀬橋」。
現在の一の瀬橋と蛍茶屋跡(橋の奥右側)。
幕末期の写真とほぼ同じ位置から撮影。
街道は蛍茶屋から左に曲がって進みますが、
現在は本河内低部ダムが造られており、
※日本で2番目に古い重力式ダムとのこと。
街道は水の中を通っています。
■長崎街道の宿場町
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蛍茶屋を越えて長崎の市街へ。
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長崎街道最後の宿場町。
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長崎街道の起点。