兵庫県伊丹市 昆陽宿跡

昆陽宿西国街道の宿場町。
昆陽は古くから宿場町だったようで、
元弘の乱(1331)で後醍醐天皇が捕らえられ、
隠岐に配流になる道中に宿泊し、
 命あれば 昆陽の軒端の月も見つ
     またいかならん行末の空

と詠んでいます。
西国街道が整備されると本陣が置かれ、
多くの西国諸大名が宿泊したようで、
その忙しさに悲鳴を上げた宿駅から、
大名の通行差止の嘆願もあったようで、
※却下されました。
その混雑度合が伺えます。


伊丹市昆陽周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが昆陽宿跡。


昆陽宿」説明板。
この辺りの宿場跡の説明板では、
西国街道は京都ー西宮間となっており、
それ以降は無いもののようになってます。
もちろん狭義には間違っていませんが、
それ以降の住んでる僕らには、
なんだかな~って思っちゃいますね。


昆陽宿跡」。
街道筋にはその面影は皆無。
よくある関西の街並みです。


本陣佐藤家跡」。
本陣を務めた佐藤家跡
民家となっているようです。


本陣川端家跡」。
幕末の頃に本陣を引き継いだ川端家跡
こちらも民家となっています。
伊能忠敬も宿泊したとのこと。


長勢橋」碑。
昆陽宿の東詰にあたる長勢橋の跡碑。
元治元年の禁門の変で敗れた長州藩は、
西国街道を西へと撤退しますが、
ここで踏みとどまって戦いました。
また長州藩の武具や荷物類が、
継ぎ立てで昆陽宿まで運ばれており、
これに気付いた宿役人が荷物を留め置き、
管轄の大坂町奉行所へ通報。
この報を聞いて新選組河合耆三郎と、
山崎大三郎が昆陽宿にやって来て、
長州藩の荷物類を押収しています。

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