柳井市 克己堂跡と赤禰・世良の屋敷跡

上関で仕事があり、宿は柳井市でした。
柳井市といえば「白壁の町並み」ですが、今回は行っていません。

仕事を終えて、上関から柳井のホテルに向かう途中、
一緒に行っていた同僚お願いして「克己堂跡」に寄ってもらいました。

克己堂は、長州藩寄組士浦靭負が、家臣の子弟教育のために創建した学塾で、
秋良貞温赤禰武人世良修蔵白井小助秋良雄太郎芥川義天など、
錚々たるメンバーを輩出しています。


克己堂跡」。
克己堂の跡地は、旧阿月小学校(現在は廃校)のあった場所。
過疎化により平成17年に廃校となっています。
克己堂は浦家屋敷の敷地内に設けられていましたので、
旧阿月小学校は「浦家屋敷跡」でもありました。


阿月維新志士之碑」。
浦靱負は優秀な人物で、家老となって藩政に関与する一方、
人材の育成の重要性を理解していました。
また、筆まめな人物だったようで、全62巻にもなる日記は、
長州幕末史の重要な資料となっています。


浦家の屋敷門で「克己堂の門」と呼ばれる門。


「克己堂跡」から南に数百メートル進んだ所に、
奇兵隊総督 赤祢武人屋敷跡」があります。
赤禰武人は柱島の島医の子でしたが、浦家家臣赤禰雅平の養子となりました。
ここはその赤禰家の屋敷であった場所。


赤禰武人の屋敷跡から、さらに数百メートル南下した所に、
奥羽鎮撫総督府参謀世良修蔵屋敷跡」がありました。
この人も庄屋の息子から浦家家臣の養子となって士分となっていますので、
ここは世良家の屋敷だった場所になります。

赤禰武人奇兵隊三代目総督でしたが、高杉晋作功山寺挙兵後に出奔し、
京都で幕府方に拘束され、新撰組参謀伊東甲子太郎らに利用されて、
幕府大目付永井尚志の随員として広島に同行。
広島から長州に潜入して故郷の柱島に潜伏していたところ、
裏切り者として処刑されてしまいました。

世良修蔵第二奇兵隊軍監として、幕長戦争では大島奪還に貢献しています。
その後、鳥羽伏見の戦いを経て奥羽鎮撫総督府下参謀となり、
同じく下参謀の薩摩藩士大山格之助に宛てた有名な「奥羽皆敵ト見テ・・」の密書が、
仙台藩士らの手に渡り、その内容に怒った仙台藩士に暗殺されました。

赤禰武人と世良修蔵。
二人とも後世に良いイメージを残していない人物ですが、
優秀であったことに間違いはないでしょう。

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