長州藩は来たるべき攘夷戦争に備え、
壇ノ浦から櫛崎の間に砲台を配置。
その中心的なものが前田砲台ですが、
海峡の最も狭い壇ノ浦にも、
壇ノ浦砲台が配置されています。
「八十斤加農砲(レプリカ)」。
海峡に向かって並ぶカノン砲。
長府の鋳造師安尾家に伝わる模型を参考に、
原寸大で復元したFRP製のレプリカ。
5門のうち1門は百円入れると音が出ます。
「天保製長州砲(複製)」。
四国連合艦隊の攻撃によって、
長州諸砲台はことごとく破壊され、
62門の大砲が鹵獲されたという。
これらは各国の軍事博物館に保管され、
現在も展示されているようです。
この砲は作家の古川薫が、
アンヴァリッド軍事博物館に返還を求め、
当時の外務大臣安倍慎太郎と、
フランス政府の好意で貸与形式で里帰りし、
下関東ロータリークラブが模造したもの。
萩の鋳砲家郡司喜平治の作という。
「源義経 平知盛像」。
壇ノ浦は下関戦争の舞台ですが、
源平合戦の古戦場でもあります。
木曽義仲に攻められた平家は、
安徳天皇と三種の神器を奉じて都を落ち、
その後は一ノ谷の戦い、屋島の戦いなど、
連敗を喫して彦島を最後の拠点とします。
源義経は平家を撃滅する為に水軍を率い、
平家は平知盛を大将として迎え撃ち、
壇ノ浦にて両軍は衝突。
始めは平家の優勢でしたが、
潮の流れが変わって形成が逆転し、
敗北を悟った平家一門の武将達や、
二位尼ら女官たちは次々と身を投げ、
幼い安徳天皇と共に海に消えました。
「壇浦砲臺舊址」。
ふぐ料理店平家茶屋前にある跡碑。
ちょっと変な位置にあります。
「馬關戰争圖(一部)」。
長府藩士藤島恒興による壇ノ浦砲台の図。
藤島は壇ノ浦砲台を担当していたようで、
後年に従軍体験をもとに製作されたもの。
壇ノ浦砲台跡は遺構は残っておらず、
当時の様子を知れる貴重な資料です。
下関市立歴史博物館蔵。
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安徳天皇を祀る神社。