祥雲寺は黒田家ゆかりの寺院。
福岡藩初代黒田長政の墓所がある他、
支藩秋月藩黒田家の歴代墓所があります。
「秋月藩黒田家墓所」。
墓地中央付近に位置する墓所。
初代から11代までの藩主と奥方の墓が、
所狭しと並んでいます。
秋月藩黒田家の墓所は他にも、
所領秋月にある古心寺にもあります。
「東陽院殿前甲州太守
五峰宗印大居士(右)」、
「法流院殿華嶽宗心大姉(左)」。
初代藩主黒田長興と継室亀姫の墓。
福岡藩初代長政の次男として生まれ、
父の死去に伴い5万石が分与され、
秋月藩を立藩しました。
宗家を継いだ兄黒田忠之より優秀で、
暗愚な兄とは仲が悪かったという。
新田開発や城下や街道の整備を行い、
藩政の基礎を確立させると共に、
島原の乱に出陣して戦功を挙げたり、
長崎警備も行っています。
「笑雲院殿前甲州刺史別叟傳大居士(中)」、
「霊雲院光嶽道照大居士(左)」。
2代藩主黒田長重と7代藩主黒田長堅の墓。
2代長重は初代長興の次男として生まれ、
父の死去に伴い家督を相続しました。
厳しい倹約令や藩札発行等を行った他、
幕政では奏者番に任命されています。
7代長堅は旗本山崎義俊の次男。
母が5代黒田長邦の娘だった為、
6代黒田長恵の急死により末期養子となり、
僅か4歳で家督を相続しました。
しかし将軍御目見前に15歳で死去。
御家断絶の危機に直面しています。
「興陽院殿前隠州刺史
三峯宗玄大居士(左)」、
「勝眞院殿月巖宗照大姉(中)」、
「岱源院殿前甲州刺史
亮應宗淳大居士(右)」。
3代藩主黒田長軌と2代正室勝眞院、
6代藩主黒田長恵の墓。
3代長軌は2代長重と勝眞院の子。
父の死去に伴い家督相続しますが、
僅か5年で病死しています。
6代長恵は5代長邦の長男に生まれ、
父の死去に伴い家督を相続。
弱冠19歳で12年後に死去しました。
「興願院殿前甲州刺史
耀譽祐歡大居士(左)」、
「瑞耀院殿歡譽祐榮大姉(右)」。
4代藩主黒田長貞と正室豊姫の墓。
長貞は福岡藩重臣野村祐春の次男で、
黒田家の血を引いていた為に養嫡子となり、
養父長軌の死去に伴い家督を相続しました。
定免制や知行制導入等の改革を行い、
39年の治世の後に死去しています。
「興徳院殿前甲州刺史
一峯宗関大居士(左)」、
「玉津院殿天質妙香大姉(右)」。
5代藩主黒田長邦と正室正姫の墓。
長邦は4代長貞の長男に生まれ、
父の死去により家督を相続しました。
8年の治世の後に死去。
墓は奥にあって写真が撮り辛かったです。
「朝陽院殿前甲州刺史
大雄向水大居士(右)」、
「大圓院殿徳相智鏡大姉(左)」。
8代藩主黒田長舒と正室美須姫の墓。
高鍋藩7代秋月種茂の次男で、
秋月藩の断絶の危機に際して、
祖母が4代長貞の娘であった事から、
血縁を持って家督を継いでいます。
幼い宗家藩主の補佐を良く勤め、
22年の治世の後に死去しました。
「龍徳院殿前甲州刺史
樂齋文水大居士(中)」、
「壽光院殿松室妙久大姉(左)」。
9代藩主黒田長韶と正室兼姫の墓。
8代長舒の次男として生まれ、
父の死去により家督を相続しますが、
若年の為に藩政は筆頭家老宮崎織部が掌握。
これに間小四郎ら家臣が宗家に訴え、
宮崎ら専横した者は罷免されますが、
藩の要職を担った者の殆どが処分され、
政治中枢が崩壊した状態になってしまい、
宗家が介入する事になっています。
「安静院殿前甲州刺史文山松操大襌定門
慈海院殿法雲智静大襌定尼」。
10代藩主黒田長元と正室慶姫の墓。
土佐藩10代山内豊策の五男に生まれ、
9代長韶の養嫡子となって家督を相続。
藩政を主導した間小四郎を流罪とし、
藩内の気風を刷新させています。
30年の治世の後に隠居。
「太陽院殿前甲州刺史春窻宗筆大居士」。
11代藩主黒田長義の墓。
10代長元の六男として生まれ、
兄らが養子に出された為に継嗣となり、
父の隠居に伴い家督を相続しましたが、
僅か2年で病死してしまった為、
弟の八男黒田長徳が家督を継ぎました。
長徳の墓は秋月の古心寺。
秋月藩黒田家墓所は祥雲寺の墓地の中でも、
唯一歴代の墓碑が残っており、
狭いながらも圧巻な墓所となっています。
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