祥雲寺にある諸大名の墓所めぐり。
小野藩一柳家は一柳直盛の次男の系譜。
初代一柳直家は父の急死により、
遺領のうち2万3600石を相続し、
分与されていた5000石と合わせ、
2万8600石の大名となりました。
しかし2代一柳直次が家督を相続する際、
末期養子だった事を咎められ、
伊予国と播磨国にあった所領のうち、
伊予国の1万8600石を没収。
播磨国小野に藩庁を置いています。
一柳家の墓所は墓所南端の中央辺りと、
南西端辺りに分かれています。
初代藩主直家と2代藩主直次
5代藩主一柳直栄の墓は見つからず。
どうやら失われている模様。
「圓照院殿前土州太守善翁鐵心居士(左)」
「圓乘院殿肯土州太守心翁道胖居士(右)」、
3代藩主一柳末礼と4代藩主一柳末昆の墓。
3代末礼は2代直次の長男に生まれ、
父の死去に伴い家督を相続。
文武神道を学んで利発だったようで、
徳川家綱の御伽衆にもなっていますが、
好色で美女の他に男色にも耽り、
寵愛の若衆を侍に取り立てたり、
同腹の弟の蟄居させる等、
問題も多かった人物だったという。
4代末昆は直次の次男一柳直昌の長男。
直昌は兄末礼の養嫡子となっていましたが、
早逝した為に末昆が末礼の嫡孫となり、
末礼の死去に伴い家督を相続しています。
25年の治世の後に39歳で死去。
「要津院殿前幽翊幽峯宗玄居士」。
6代藩主一柳末英の墓。
5代末栄の長男として生まれ、
父の隠居に伴い家督を相続しました。
25年の治世の後に隠居し、
6年後に死去しています。
「嶺松院殿前土州太守雲巌宗岫居士」。
7代藩主一柳末昭の墓。
6代末英の次男として生まれ、
父の隠居に伴い家督を継ぎますが、
僅か23歳で8年後に死去しています。
「義雲院殿前對州太守徳叟元良居士(右)」、
「地樂院殿春芳妙〇大姉(左)」。
8代藩主一柳末周とその室の墓。
6代末英の三男として生まれ、
兄の末昭の死去により家督を相続。
19年の治世の後に病気を理由に隠居し、
長男の一柳末延に家督を譲りました。
その後は江戸で過ごしており、
21年後の嘉永5年に死去。
9代と10代の墓所は小野の光明寺。
こちらは既に訪問済みです。
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同族の小松藩一柳家の陣屋跡。