青山霊園の立山墓地に、
三池藩最後の藩主立花種恭の墓があります。
「貴族院議員従二位勲四等
子爵立花種恭之墓」。
三池藩9代藩主立花種恭の墓。
6代立花種周の五男立花種道の長男で、
8代(下手渡藩2代)立花種温が死去した為、
その末期養子となって家督を相続。
所領の約半分を三池に戻され、
藩の念願であった旧領を回復しますが、
藩庁はそのまま下手渡に置かれます。
種恭は幕政に参加しており、
大番頭、若年寄を経て会計総裁に就任。
鳥羽伏見後に役を辞して帰還し、
新政府への恭順を決めて上洛しますが、
後に下手渡陣屋の家老屋山外記が、
奥羽越列藩同盟に加盟しています。
しかし仙台藩は恭順していた事を知ると、
下手渡城下を焼いて陣屋を攻撃。
柳河藩や徳山藩が救援に駆けつけた為、
やむなく仙台藩は撤退しましたが、
城下や陣屋は完全に焼失してしまい、
戦後は藩庁を再び三池に戻しました。
廃藩置県後は学習院初代院長を務め、
貴族院子爵議員に終生在任しています。
明治38年に死去。
この墓には長男立花種政など一族も、
合葬されています。
墓所は立山墓地1種イ1号1側。
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