①/②
紹運寺より道路を隔て法輪寺跡があります。
法輪寺は三池藩歴代藩主の菩提寺で、
初代藩主立花種次以外の墓所でしたが、
明治7年の台風で境内が破損した為、
壱岐の初山村に移転しました。
跡地には歴代墓所が残されており、
紹運寺に管理されているようです。
紹運寺前の坂を登ると案内板があります。
弁慶の足跡は何かわかりませんでした。
「立花家墓所」。
少し登ると4基の墓と石灯籠が並んでおり、
2~5代の藩主の墓所となっています。
「壽徳院殿前泉州刺史朝散太夫
泰叟道運大居士」。
2代藩主立花種長の墓。
初代種次の長男として生まれ、
父の死去により幼少で家督を相続します。
成長前は柳河藩の助けや、
重臣達の努力で藩が運営されましたが、
成人してからは藩政の確立に尽力し、
50年を超える治世で藩を安定させました。
「天徳院殿傑捜浄英大居士」。
3代藩主立花種明の墓。
2代種長の長男として生まれ、
父の隠居により家督を相続しました。
治世で特筆する事例はありませんが、
領内の寺社を整備するなどしたという。
「霊通院殿前雲州刺史仁翁紹寛大居士」。
4代藩主立花貫長の墓。
3代種明の長男として生まれ、
父の死去により家督を相続しています。
貫長の治世に領内で石炭採掘が開始され、
これが三池炭鉱の礎となりました。
「明徹院殿前泉州刺史實相紹眞大居士」。
5代藩主立花長煕の墓。
4代貫長の長男として生まれ、
父の死去に家督を相続。
15年の治世の後に隠居しており、
家督を次男立花種周に譲りました。
6代種周は幕政に参加しており、
大番頭、奏者番、寺社奉行、若年寄を歴任。
松平定信の寛政の改革に参与しており、
蝦夷地総監なども務めています。
しかし大奥改革で定信らと対立し、
若年寄を解任させられて強制隠居となり、
7代種善は下手渡に移封されてしまい、
種周以降の藩主墓所は下手渡領の耕雲寺。
維新後に三池に藩庁を戻していますが、
廃藩後は三池立花家は東京に移っており、
最後の藩主立花種恭の墓は青山霊園です。
つづく。
①/②
■関連記事■
・福岡県大牟田市 三池陣屋跡
三池藩立花家の陣屋跡。
・福島県伊達市 耕雲寺/下手渡藩立花家墓所
下手渡藩立花家の墓所。
・福島県伊達市 下手渡陣屋跡
下手渡畔立花家の陣屋跡。
・福岡県柳川市 柳川城跡
柳河藩立花家の居城跡。