福岡県大牟田市 法輪寺跡(三池藩立花家墓所)②

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三池藩歴代墓所から更に右手奥へ登っていくと、
家祖高橋紹運立花直次五輪塔があります。

それ程広くないスペースに、
紹運と直次の五輪塔、顕彰碑、
岩屋城の戦い戦死者の慰霊碑、
朝鮮出兵戦死者の慰霊碑があります。


安寧院殿天叟紹運大居士」。
家祖高橋紹運の五輪塔。
岩屋城の戦いで玉砕した紹運の首は、
島津勢の総大将島津忠長により、
首実験が行われた後に二日市村に埋められ、
胴体は岩屋城二ノ丸跡に埋葬されたという。
他に柳川市天叟寺にも墓碑がある他、
太宰府市西正寺も菩提寺となっています。


紹運公碑」。
高橋紹運の顕彰碑。
希代の名将と称された紹運は、
立花道雪と共に風神雷神に例えられ、
幾多の敵を撃破しています。
強さだけでなく情深く義に厚い人物で、
岩屋城の城兵全てが運命を共にしたのは、
それだけ慕われていたという事。
また斎藤鎮実の妹との婚姻が決まった後、
その妹は疱瘡を患って容姿が変わってしまい、
これを理由に破断が申し込まれますが、
紹運はそのまま正室に迎え、
後に立花宗茂、直次を儲けています。
後に豊臣秀吉は紹運の事を知り、
乱世の華である」とその死を惜しんだという。


鎮種候筑前州實満巌屋籠城供養戦死之五百八員之霊」。
岩屋城の戦いで戦死した城兵の慰霊碑。
紹運が岩屋城を死地と定めると、
城兵もこれに倣って死に場所と決め、
全員が死兵となって防戦にあたり、
島津勢の大軍に一歩も引かず、
多くの敵兵を道連れにしました。


大通院殿玉峯道白大居士」。
紹運の次男立花直次の五輪塔。
直次は初め高橋統増を名乗っており、
直次と改称したのは朝鮮出兵の頃。
兄の宗茂が立花道雪の養子となった為、
紹運の継嗣となって大友家に仕え、
父や兄と共に島津勢の北征に対抗します。
島津勢は父の玉砕により時間と兵を喪失し、
豊臣秀吉によって窮地を脱出。
後に兄と共に秀吉の直臣となりました。
しかし秀吉死後の関ケ原の戦いでは、
西軍として戦った為に改易処分となり、
浪人としての日々を過ごしています。
後に2代将軍徳川秀忠に召し出され、
最終的に5千石を与えられました。


従五位下故主膳正立花大通公碑」。
6代藩主立花種周建立の直次の顕彰碑で、
三池藩随一の能率家芳賀貞の撰。
直次の功績や人柄などが刻まれています。


直次公朝鮮供宝奉戦死之士三十二員之〇」
※〇の部分が欠けて判別不可。
 霊か墓、碑など文字が、

 刻まれていたと思われます。
直次は文禄慶長の両役に従軍し、
碧蹄館の戦い第二次晋州城合戦
露梁海戦等で活躍しています。
これは朝鮮の役で戦死した家臣らの慰霊碑。

紹運の玉砕は三池藩の誇り。
江戸期の武士道にも沿っており、
幕府としても徳川家に関係ない話なので、
この逸話は称賛し易かったでしょう。
三池藩が誇りとした様子は、
下手渡陣屋跡に建てられた懐古碑からも、
伺い知ることができます。

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