青山霊園にある福岡藩黒田家の墓所。
歴代藩主の墓は領地の福岡にありましたが、
廃藩置県後に黒田家は東京に移住しており、
11代黒田長溥より青山霊園が、
黒田家の墓所となりました。
「従二位勲三等黒田長溥之墓」。
福岡藩11代藩主黒田長溥の墓。
薩摩藩8代島津重豪の十三男に生まれ、
10代黒田斉清の婿嗣子となります。
養父斉清の隠居により家督を相続。
蘭癖大名を称されており、
藩士らに西洋技術を習得させ、
領内に精練所と反射炉等を建設し、
藩の近代化政策を推し進めました。
薩摩藩のお由羅騒動では、
島津斉彬の藩主相続に尽力。
ペリー来航の際は建白書を提出し、
海防の強化に加えて通商を開き、
欧米の先進技術導入を主張しています。
積極的な開国論者であった為、
乙丑の獄で藩内の尊攘志士を弾圧。
藩内の優秀な人材を枯渇させました。
明治2年に隠居して家督を譲り、
明治20年に死去しています。
「正二位勲三等黒田長知墓」。
福岡藩12代藩主(知藩事)黒田長知の墓。
津藩11代藤堂高猷の三男に生まれ、
11代長溥の養嗣子となりました。
明治2年に長溥の隠居により家督を相続。
しかし明治4年に太政官札の贋造が発覚し、
この件で知藩事を罷免されてしまいます。
後任は有栖川宮熾仁親王が就任した為、
事実上黒田家の福岡藩は断絶。
廃藩置県の12日前でした。
廃藩後は東京に移住しており、
岩倉使節団の海外留学生として欧米に留学。
ハーバード大学を卒業して帰国しています。
明治11年に隠居して家督を譲り、
書や文学、絵、囲碁、将棋等を嗜み、
能楽を好んで多くの能楽師を援助しました。
明治35年、死去。
「樞密顧問観従一位勲一等
伯爵黒田長成墓」。
17代当主黒田長成の墓。
※小寺家家臣黒田重隆から17代、
黒田官兵衛孝高から14代、
初代黒田長政から数えて13代。
12代長知の長男として生まれ、
明治11年に父の隠居によ家督を相続。
慶應義塾を経てケンブリッジ大学で学び、
帰国後は貴族院侯爵議員となり、
明治27年より貴族院副議長を務めました。
後に枢密顧問官、議定官に任命され、
終生これを務めて昭和14年に死去。
墓所は青山霊園1種イ4号13-17側。
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