福岡県福岡市 東長寺/福岡藩黒田家墓所

大同元年(806)に空海から帰国し、
半年程博多へ滞在していますが、
空海は密教東漸を祈願して不動明王像を彫り、
東長寺を建立したとされています。
※空海の創建した日本最古の寺とされる。
当初の東長寺は現在の呉服町にあったようで、
巨大な伽羅を持つ大寺院でしたが、
数度の兵火に見舞われ荒廃。
後に福岡藩2代藩主黒田忠之真言宗に帰依し、
現在地に東長寺を再興しました。
その後に忠之は東長寺に葬られ、
子の3代藩主黒田光之も東長寺を墓所とし、
8代藩主黒田治高の墓も建てられています。


山門」。
訪問時は既に暗くなりかけで、
扉は閉じられていましたが、
山門の横から入る事ができます。


本堂」。
本尊は秘仏である木造千手観音立像
同じ秘仏の弘法大師坐像不動明王立像
東長寺は広くはない境内ですが、
大きくて立派な本堂です。


六角堂」。
天保13年(1842)に建立された六角堂
売薬や漆問屋を営む商人豊後屋栄蔵が、
名古屋以西の商人から浄財を募り、
東長寺の末寺に建立された仏殿で、
その末寺が廃寺になった際、
東長寺に移築されたとされます。


大仏殿」。
東長寺は都会の中の寺院なので、
周辺はビルに囲まれています。
この大仏殿鉄筋コンクリート造なので、
周辺のビルと勘違いしてしまいそう。
中には日本最大級の木造迦如来坐像が安置され、
その大仏台座には真っ暗な通路があり、
地獄極楽巡り(戒壇廻り)」ができます。
実は数年前にここに訪れており、
地獄極楽巡りをしたことがあって、
いつか子供を連れて来たいなと思ってましたが、
今回も一人での訪問ですし、
既に拝観時間は過ぎていました。


五重塔」と「大師堂」。
五重塔は平成23年に建立された新しいもの。
大師堂は弘法太師像が安置された御堂ですが、
現在は摩利支天等が祀られているらしい。

そして黒田家の墓所へ。

前太守筑州侍従高樹院殿傑春宗英大禅定門」。
2代藩主黒田忠之の墓。
初代黒田長政と継室栄姫の長男として生まれ、
※栄姫は徳川家康の養女。
長政の死去に伴い家督を相続しました。
側近の倉八正俊らを重用して旧臣と対立し、
重臣栗山大膳はこれを幕府に訴え、
福岡藩黒田家は改易の危機となります。
しかし3代将軍徳川家光の裁定により、
栗山、倉八双方が罰せられました。
この件で父長政と懇意であった老中安藤直次
成瀬正虎らから忠之へ書状が送られ、
重臣と藩政を進めるように促されています。
上記のように真言宗に帰依していた為、
父らの菩提寺である崇福寺ではなく、
東長寺に葬るように遺言しており、
この巨大な五輪塔が建てられました。
※日本で2番目に巨大な墓碑。


故筑前國主拾遺補闕淳山宗真大居士」。
3代藩主黒田光之の墓。
2代黒田忠之の長男として生まれ、
父の死去に伴い家督を相続しています。
儒学者貝原益軒黒田家譜を編纂させた他、
倹約令などの藩政改革を行いました。


前筑州太守拾遺補闕徳巖道俊大居士」。
8代藩主黒田治高の墓。
多度津藩2代京極高慶の七男として生まれ、
7代黒田治之の末期養子として家督を相続。
同年に福岡に御国入りしていますが、
間もなく病死しています。
治高が東長寺に葬られた理由は不明ですが、
御国入りしてすぐに死去した事と、
黒田家の血筋ではなかった為に、
崇福寺に葬られなかったではないでしょうか?

今回の訪問は一人でのものですが、
上記のように子供を連れて来たいので、
またいつか訪問したいと思います。

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