青山霊園にある福羽美静の墓。
「正二位勲一等子爵福羽美静之墓」。
津和野藩出身の国学者福羽美静の墓。
津和野藩士福羽美質の長男として生まれ、
藩校養老館で漢学や山鹿流兵学を学び、
上洛して同郷の神道家大国隆正に入門。
安政4年に帰郷して養老館で教授を務め、
文久3年には御所より召喚され、
孝明天皇の近侍となりました。
八月十八日の政変では七卿と共に西下。
帰郷して藩政改革に取り組み、
藩論を勤皇に移行させています。
明治元年には徴士神祇事務局権判事となり、
主に神祇制度確立に尽力。
神仏分離令の起草をした事でも知られ、
この為に一部では仏敵とされています。
その後は明治天皇侍講、大学御用掛、
神祇大福、教部大輔を歴任。
欧化政策に反対した為に免官され、
宮内省歌道文学御用掛に就任しました。
国憲調査委員、東京学士会会員、
文部省御用掛、元老院議官を務め、
後に貴族院子爵議員に選出。
明治40年に死去しています。
墓所は青山霊園1種イ4号7側。
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