岡熊臣旧宅にほど近い民家の庭先に、
福羽美静の誕生地あります。
「正二位勲一等子爵
福羽美静先生誕生之地」。
民家の庭先なので地図は載せませんが、
googleMAPでも検索できます。
農作業をされている方に場所を伺うと、
あそこだよと親切に教えていただきました。
父福羽美質が代官となった山下村で生まれ、
幼少時に軽業師の真似をして転落。
体が不自由となってしまい、
学問に傾向するようになったという。
藩校養老館で国学を学び、
京都で大国隆正の門下となり、
津和野に帰って養老館の教授を勤めます。
後に藩命で京都での周旋活動に従事し、
七卿落ちの際に同行して、
後に津和野に戻りました。
藩論を長州藩支持で纏め、
領内の長州藩兵通過を認めました。
維新後は明治天皇の大阪行幸の際に、
古事記を進講する機会を得て、
明治天皇に学問の指導を行いました。
以降も宮内省や文部省の御用掛を歴任し、
帝国議会の発足後は、
貴族院議員に選出されています。
福羽は神仏分離政策にも携わった事から、
佛敵とされることもありますが、
神仏分離令は仏教弾圧ではありませんので、
佛敵は少し酷すぎるような気がしますね。
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