青山霊園にある川路利良の墓。
「陸軍少将兼大警視川路君之墓表(右)」、
「陸軍少将大警視
正五位勲二等川路君墓(中)」、
「贈従三位川路利良妻川路澤子之墓(左)」。
川路利良の顕彰碑と墓及び、
その妻の川路澤子の墓。
薩摩藩の与力川路利愛の長男に生まれ、
漢学者重野安繹に漢学を、
坂口源七兵衛に真影流剣術を学ぶ。
銃撃隊として配属されており、
禁門の変で来島又兵衛を狙撃。
西郷吉之助や大久保一蔵の知遇を得て、
鳥羽伏見や上野戦争でも活躍しました。
浅川の戦いで負傷していますが、
会津戦争にも参加。
廃藩置県後は司法省に出仕し、
欧州各国の警察を視察して帰国し、
日本の警察制度を確立しさせています。
警視庁創設に伴い初代大警視に就任。
明治10年には不穏な鹿児島に、
警察官を密偵として送り込みますが、
これが捕らえられてしまい、
川路が西郷の暗殺を命じたとされて、
不平士族達から憎まれました。
明治10年に西南戦争が勃発すると、
別働第三旅団を率いて九州を転戦。
明治12年には再び欧州に赴き、
欧州各国の警察を視察していますが、
パリで病床に臥してしまい、
東京に帰着しますが病状は悪化して、
自宅で死去しています。
墓所は青山霊園1種イ4号1-3側。
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禁門の変で川路が仕留めた長州藩重臣。