祥雲寺は元々黒田長政の菩提を弔う為、
福岡藩2代藩主黒田忠之が建立した寺院。
その長政の墓碑は墓地唯一の御霊屋付です。
「黒田長政墓所」。
5m程の高さのある御霊屋の覆われた墓碑。
元々祥雲寺は興雲寺と称しており、
長政の戒名に由来していたようです。
「興雲院殿前大中大夫
筑州都督古心道ト大居士」。
福岡藩初代藩主黒田長政の墓。
この墓は遺髪が納められているようで、
長政の本墓は福岡市の崇福寺。
とはいえその墓碑は空襲で破壊され、
後に建て替えられています。
長政は黒田官兵衛孝高の嫡男に生まれ、
幼少期は人質として羽柴秀吉に預けられ、
孝高が荒木村重に拘束された際には、
織田信長に寝返ったと見なされ、
殺害されそうになっていますが、
その際は竹中半兵衛の機転により、
家臣宅で密かに匿われました。
その後は父と共に秀吉に仕え、
天下統一に貢献しており、
朝鮮出兵にも参加して戦功を挙げ、
石田三成ら文治派と対立。
秀吉没後は徳川家康に近づき、
関ケ原の戦いでは東軍として参戦し、
筑前国52万石を与えられています。
当初の居城名島城を廃して福岡城を築城し、
城下を整備して藩政の基礎を構築。
大坂冬の陣では江戸城留守居役を務め、
翌年の夏の陣では自ら参戦しています。
元和9年(1623)に京都の報恩寺で死去。
遺骸は福岡に送られたという。
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