佐賀県多久市 東原庠舎跡/多久聖廟

多久家4代多久茂文は領内で教育を振興し、
椎原山山麓に郷校東原庠舎を開設。
後に孔子を祀る聖廟を創建されており、
これが多久聖廟として現存しています。


孔子の里 多久聖廟」。
郷校東原庠舎の跡地が整備され、
孔子の里 多久聖廟となっています。
聖廟は東原庠舎の一部だったものですが、
現存する建物が聖廟だけであり、
旧国宝にも指定されていた重文ですので、
聖廟の名が前面に出されたのでしょう。


多久茂文文学碑(左)」、
多久茂文公之像(右)」。
入口にある茂文の座像と文学碑。
茂文は2代藩主鍋島光茂の三男で、
多久家3代多久茂矩の養子となります。
儒学者の武富咸亮実松元林に学び、
学問の重要性を認識した当主だったという。


東原庠舎之舊跡」。
道路沿いの広場となっている場所が、
東原庠舎の学舎のあった場所。
科目としては和学漢学書道和算
礼法兵法弓術馬術槍術剣術の他、
火術などもあったという。
武士の子弟は文武いずれかを修習するまで、
家督相続が出来ないようになっていたという。
血縁だけのボンクラは家督相続出来ないのは、
なかなか良いシステムですね。
また江戸中期以降は領民も受け入れており、
学問の地として名声を得ていたようで、
雀まで論語を囀るとうたわれたとのこと。
維新後の明治2年には多久郷学校に改称。
明治4年には多久小学校となり、
その後は明治6年まで続いたようです。


孔子像」。
中国山東省曲阜市より贈られた孔子像。
曲阜市は多久市の友好都市とのこと。
孔子は春秋時代の中国の思想家で、
儒学の始祖とされる人物。
釈迦キリストソクラテスと共に、
四聖として数えられています。


多久聖廟」。
はじめ東原庠舎の講堂に孔子像が安置され、
教育の精神的支柱となっていましたが、
後に東原庠舎の山上に孔子の拝殿が建立。
これが現在の多久聖廟です。
明治40年に瓦葺から銅板葺に改修され、
昭和8年に国宝(旧国宝)となりました。
その後の昭和25年に重文となっており、
東原庠舎跡を含む周辺が整備され、
現在に至っています。

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