黒羽城は天正4年(1576)に、
那須家重臣大関高増によって築城され、
その居城となっていた城。
天正18年(1590)の小田原征伐では、
主君那須資晴は参陣ぜず改易されますが、
高増はいち早く参陣した為、
所領1万3000石を安堵されました。
関ヶ原の戦いでも東軍に与しており、
加増されて黒羽藩を立藩。
以後は転封もなく廃藩まで続いています。
「会所跡」。
黒羽城址公園駐車場が、
藩の会所のあった場所という。
こちらに車を駐車します。
「閣道跡」。
虎口となっている本丸への大手口。
ここからは入らず三ノ丸跡へ。
「三ノ丸跡(黒羽芭蕉の館)」。
三ノ丸跡に建つ黒羽芭蕉の館。
松尾芭蕉に関わる資料と、
大関家資料を常時展示しています。
芭蕉は黒羽に14日間も滞在しており、
これを記念して建てられたもの。
黒羽芭蕉の館の櫓門風の入口から、
本丸跡方向へ行けます。
「馬出郭跡」。
三ノ丸と本丸の間にある小さな曲輪跡。
馬出郭と本丸を繋ぐ橋。
往時も橋が架けられていたようですが、
どのような橋だったか不明。
ここの空堀は最も規模が大きいようです。
写真は振り返って馬出郭方向を撮影。
「本丸跡」。
御殿が置かれていた本丸跡。
現在は広場となっており、
ステージのある文化伝承館と、
物見櫓が設置されています。
「廊下橋跡」。
往時は廊下橋が架かっていたようで、
これを渡ると始めの大手口に至ります。
黒羽藩大関家は築城から江戸時代を通じ、
黒羽城を居城とした外様大名。
15代藩主大関増裕は幕府要職を歴任し、
若年寄まで務めています。
代わって藩主となった16代大関増勤は、
新政府に恭順して戊辰戦争に参加。
黒羽城は明治4年の廃藩置県の後、
廃城となっています。
ちなみに大関家の家格は無城大名で、
※陣屋大名ともいう。
城を持つ事は許されませんでしたが、
黒羽城は破棄される事もなく、
そのまま黒羽城が使用されたようです。
とはいえ城主ではないので、
城の規模のまま黒羽陣屋と呼ばれました。
【黒羽藩】
藩庁:黒羽城(黒羽陣屋)
藩主家:大関家
分類:1万8000石、外様大名
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