府中宿は薩摩街道の2番目の宿場町。
この地に一時期筑後国府があったようで、
地名はこのことに由来するようです。
府中宿は薩摩街道の宿場として栄えた他、
高良大社の門前町でもありました。
久留米市御井町周辺。
緑の線が薩摩街道で青い線が高良大社参道。
ピンクの線は久留米城下への道です。
青でぼかした辺りが府中宿跡。
北側より散策。
「北構口跡」。
標柱が建てられていますが遺構は無し。
他の宿場同様に石垣の構口があったという。
「府中宿跡(上町)」。
現在は住宅街となっていますが、
古い建物も少しは残っています。
「平手」。
宿場の中心であった辻で、
街道と高良大社参道が交差する場所。
府中宿の高札場の場所は不明ですが、
たぶん建てるならこの辺りでしょう。
「平手の旅館跡」。
旅館であったであろう古い建物。
詳細は不明ですが明治以降の建築でしょう。
高良大社の参拝客がとまったのでしょうか?
街道から外れて高良大社参道へ。
「高良大社大鳥居」。
久留米藩2代有馬忠頼が寄進したもので、
承応3年(1654)の建立という。
国指定重要文化財。
高良大社は筑後国一宮とされており、
高良山の山頂に鎮座し、
高良玉垂命を主祭神として祀っています。
高良山には元々高木神が鎮座しており、
高牟礼山と呼ばれていました。
そこに高良玉垂命が一宿借りたいと、
高木神に申し出ててこれを譲ったところ、
高良玉垂命は山に入って結界を張り、
そのまま鎮座してしまったと伝わります。
厄除け開運、延命長寿に御利益があり、
芸能の神でもあるという。
大鳥居の手前の本陣跡へ。
「御井小学校(府中宿本陣跡)」。
久留米藩営の御茶屋があった場所で、
敷地内に井戸が残っているようです。
脇本陣は小松屋、薩摩屋が務めたようで、
これらは平手にあったとされますが、
正確な所在地は定かではありません。
街道筋に戻って南下。
「府中宿(下町)」。
中央の緑の日除けの店は旅館日田屋跡で、
宿場時代の建物とのこと。
他にも米屋や旭屋等の旅籠だった場所に、
屋号の看板が設置してあります。
「高良下宮社」。
府中宿に鎮座する高良大社の下宮。
高良大社と同時期の創建とされ、
府中宿の氏神となっています。
左に幸神社(孝元天皇を祀る)、
右に素盞嗚神社(祇園社)を配しており、
地元では下宮社全体を指して、
祇園さんと呼んでいるとのこと。
「大鍋屋跡」。
300年以上の歴史を持つ青柳家の建物。
漆喰の白壁となまこ壁の商家で、
屋号どおりに鉄鍋を製造していたという。
隣に小鍋屋があったようですが、
こちらの詳細は不明。
「南構口跡」。
南構口には標柱は設置してありません。
水路のあるこの辺りに、
構口が設置されていたと思われます。
■薩摩街道の宿場町
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