中通島の北に長く伸びた半島の1/3辺り、
仲知と呼ばれる場所が、
福江藩と平戸藩の藩境であったという。
五島列島は平戸島に程近く、
五島家と松浦家の間で領地紛争が絶えず、
領主が度々代わっていたようです。
「五島・平戸領境界(仲知)」。
県道218号沿いにある説明板と標柱。
ここから北側が平戸領だったようです。
永正4年(1507)の玉之浦納の乱で、
宇久囲(五島家16代)が敗死。
その子宇久盛定は松浦弘定を頼り、
松浦家の援助を受けて玉之浦を討ち、
宇久家17代当主に就任。
その感謝の証としてこの境界より、
半島の北部を贈ったとされています。
後の正和2年(1645)には、
福江藩と平戸藩の間で領地確認が成され、
江戸時代を通じここが境界となりました。
半島は平野部は殆どないようで、
急峻な傾斜地が海岸まで迫る地形。
しかしながら豊かな漁場があり、
塩釜も盛んだったようで、
耕作は殆ど出来ないながらも、
重要な地域であったようです。
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