今和泉島津家は薩摩島津家の支流で、
宗家4代島津忠宗の次男島津忠氏が、
和泉(出水)郷を与えられ、
和泉島津家を称したのに始まります。
しかし5代当主島津直久が戦死した為、
327年の間当主が不在となりますが、
これを江戸時代になって復活させて、
御一門今和泉島津家としました。
「今和泉島津家墓所」。
墓所は光台寺にありましたが、
光台寺は維新後に廃寺となっており、
現在は墓所だけが残されています。
「壽祥院殿量阿翠大居士」。
今和泉島津家初代当主島津忠卿の墓。
薩摩藩4代藩主島津吉貴の七男に生まれ、
※既に吉貴は隠居していた。
5代藩主である兄の島津継豊の命より、
和泉島津家の名跡を3歳で相続しますが、
その10年後に死去してしまいます。
「澄月院殿成阿義圓大居士」。
※風化で墓碑銘は読めず。
戒名は説明板を参照しています。
今和泉島津家2代当主島津忠温の墓。
4代藩主吉貴の八男として生まれ、
重臣小松清香の養子となりますが、
兄忠卿の死去によりその家督を相続。
24年の当主在任の後に死去しました。
忠温の死後一時断絶。
「誠徳院殿山松壽栄大居士」。
今和泉島津家3代当主島津忠厚の墓。
8代藩主島津重豪の三男に生まれ、
※出自には諸説あります。
当主不在であった今和泉島津家を相続。
甥の島津斉興が10代藩主に就任すると、
その後見役を務めたという。
「誠恭院殿芩翁儀道大居士」。
今和泉島津家4代当主島津忠喬の墓。
3代まで養子続きでしたが、
4代忠喬は前藩主忠厚の実子。
14年の当主在任の後に家督を譲り、
隠居後は22年も余生を過ごしました。
「忠剛墓」。
今和泉島津家5代当主島津忠剛の墓。
9代藩主島津斉宣の七男として生まれ、
花岡島津家を経て4代忠喬の養子となり、
父の隠居に伴い家督を相続。
篤姫(天璋院)の実父として知られますが、
家政の財政再建を成功させてもいます。
「忠冬墓」。
今和泉島津家6代当主島津忠冬の墓。
5代忠剛の長男として生まれ、
父の死去に伴い家督を相続しますが、
僅か5年で病死しています。
篤姫(天璋院)の実兄。
7代は5代忠剛の四男島津忠敬が相続し、
そのまま明治維新に至っています。
忠敬以降の墓はここにはなく、
鹿児島市営の郡元墓地にあるとのこと。
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