鹿児島県指宿市 今和泉御仮屋跡

今和泉郷は今和泉島津家の領地だった地。
※今和泉郷は揖宿郡小牧村、岩本村、西方村、
 頴娃郷池田村、利永村等がらなる外城

かつて存在した和泉島津家を、
延享元年(1744)に今和泉家として再興し、
一門家のひとつとしたもので、
4代藩主島津吉貴の七男島津忠郷が、
僅か3歳で当主となっていました。


篤姫ゆかりの地 今和泉」。
今和泉地区(旧岩本村)は今和泉郷の中心地。
と呼ばれる海岸地域には、
今和泉島津家関連の史跡が残ります。
NHK大河ドラマ「篤姫」の影響により、
周辺は全体的に篤姫推し


幼少の篤姫 於一像」。
「篤姫」は平成20年の大河ドラマで、
平均視聴率24.5%の人気作品。
主演は当時22歳の宮崎あおいで、
準主役の小松帯刀役は瑛太
篤姫の夫将軍徳川家定堺雅人が演じ、
女性層を中心に高視聴率を維持しました。
その主人公篤姫は今和泉島津家出身で、
今和泉家5代島津忠剛の長女として生まれ、
摩藩11代藩主島津斉彬の養女となり、
更に右大臣近衛忠煕の養女となって、
そのうえで将軍徳川家定に輿入れ。
しかし僅か2年で家定は死去してしまい、
篤姫は落飾して天璋院を名乗ります。
家定の跡を継いだ14代将軍徳川家茂は、
公武合体政策によって皇女和宮を正室とし、
大奥御台所として和宮が入りますが、
武家と皇室の生活習慣の違いもあって対立。
後に和解すると大奥を守る為に、
15代将軍徳川慶喜と対立しますが、
鳥羽伏見敗戦後の徳川家存亡の危機には、
徳川の救済と慶喜の助命に尽力しました。
大奥から立ち退いた後も徳川家に残り、
千駄ヶ谷徳川宗家邸で余生を過ごし、
明治16年に死去しています。


今和泉御仮屋跡(今和泉小学校)」。
今和泉島津家の屋敷(御仮屋)跡は、
現在の指宿市立今和泉小学校の敷地。
屋敷跡の石垣が現存しています。
宝暦4年(1754)に政庁として建てられますが、
初代当主島津忠郷は初入部後僅か半年で死去。
家督は実弟の島津安之助が相続しました。
於一(篤姫)は鹿児島城下で生まれますが、
幼少期にはここで暮らしたようです。
幕末の嘉永6年には屋敷前の海岸に、
台場が築かれたようですが、
遺構がなく場所の特定は出来ません。


屋敷跡の古井戸」。
小学校の敷地内には入れませんが、
海側の敷地外から古井戸が確認できます。
他にも手水鉢も現存しているようですが、
これは確認出来ませんでした。

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