所せましと墓石が居並ぶ谷中霊園において、
一際広い敷地を有する井上正鐵の墓所。
墓域は80坪もあるという。
「井上正鐵大人之墓(左)」、
「安東真鐵大人之墓(右)」。
井上正鐵は禊教の教祖とされており、
館林藩勘定方安東真鐵の子として生まれ、
母方の縁者井上家の養子となっています。
京都で白川伯王家に入門し伯家神道を修め、
天津祝詞太祝詞三種祓等の奥旨を皆伝。
天保11年(1840)に梅田神明宮の神職となり、
神道の布教を開始しますが、
寺社奉行により邪教の嫌疑を受け、
妻や門弟らと捕らえられています。
※当時の寺社奉行は戸田忠温と阿部正弘。
正鉄は教導の内容を神道唯一問答書に著し、
奉行所に提出するも嫌疑は晴れず、
天保14年(1843)に三宅島に配流。
島内でも布教活動を続けており、
嘉永2年に死去しました。
父の安藤真鐵は賀茂真淵の門人で、
国学や医術、儒教、仏教等を習得。
神道の奥義も会得していましたが、
既に老齢で後人への伝授は叶わず、
息子の正鉄に神道を究めて、
世に広めるよう遺言したとされます。
墓所は谷中霊園乙9号8側。
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井上正鐵は館林藩の出身。