東京都台東区 谷中霊園/奥田直賀墓所

村松藩11代藩主堀(奥田)直賀の墓。
※正確には谷中霊園ではありませんが、
 寛永寺墓地天王寺墓地も含め、
 谷中霊園として記事にしています。


村松藩堀家は元々は奥田姓でしたが、
戦国末期の当主奥田(堀)直政が、
従弟の堀秀政に仕えて堀姓を拝領。
この直政の嫡流は断絶していますが、
庶流が村松藩、椎谷藩須坂藩と残り、
幕末まで存続しています。
村松藩堀家は直政の次男の次男の系譜。
江戸時代を通じて12代続きました。


宏達院殿従三位清節直賀大居士」。
村松藩11代藩主堀(奥田)直賀の墓。
6代堀直教の長男奥田教明の長男で、
12代堀直休の急死により家督を相続。
佐幕的な思想を持っていた様で、
藩内の尊攘派を弾圧しており、
奥羽越列藩同盟に加盟しています。
長岡に藩兵を派遣しており、
同盟軍と共に新政府軍と戦いますが、
長岡城落城に伴い直賀は米沢に避難。
この間に尊皇派が新政府軍に降伏恭順し、
直賀も米沢藩降伏に伴い降伏しています。
直賀は強制隠居処分となり、
直休の弟堀直弘に家督を譲りました。
明治10年に奥田姓に改め堀家を離籍。
明治36年に死去しています。

墓所は寛永寺谷中第二霊園

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 村松藩堀家の居城跡。

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