紀尾井坂の変の刑死者らの墓。
紀尾井坂の変は大久保利通の暗殺事件で、
石川県士族島田一郎ら6名が、
大久保の馬車を襲撃して惨殺し、
斬奸状を手に自首しています。
左から、
「杉村文一之墓」「杉本乙菊之墓」、
「脇田功一之墓」「長連豪之墓」、
「島田一良之墓」「浅井壽篤之墓」。
首謀者の島田は加賀藩の足軽で、
維新後は軍人となっていましたが、
明治6年の西郷隆盛下野に憤激。
士族反乱に呼応しようとするも機を得ず、
高官暗殺に方針を変更します。
杉本、脇田、杉村、長、浅井も賛同し、
明治11年5月14日に紀尾井町清水谷付近で、
大久保の乗る馬車を襲撃。
従者芳松は北白川宮邸に助けを求め逃走し、
御者の中村太郎は立ち向かって殺されます。
彼らは大久保を馬車から引きずり降ろすと、
膾斬りにして立ち去っており、
その直後に斬奸状を手に自首。
政府は彼らを刑法上規定がない国事犯とし、
大審院に臨時裁判所を開設して裁判を開始。
7月27日に死刑判決を言い渡され、
即日、斬罪となっています。
事件翌日の5月15日には、
大久保に正二位右大臣が追贈され、
同17日に中村と共に葬儀が行われました。
葬儀の費用4,500円余りであったとされ、
近代日本最初の国葬級葬儀となっています。
墓所は谷中霊園乙8号3側。
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