青山霊園にある大久保利通の墓所。
大久保は紀尾井坂の変で暗殺され、
その翌日に正二位右大臣が追贈。
暗殺から3日後の5月17日に、
近代日本最初の国葬級葬儀が行われ、
遺骸は青山霊園に埋葬されました。
「贈右大臣正弐位大久保公神道碑」。
大久保利通の神道碑。
明治43年に勅命によって建立され、
日下部鳴鶴の傑作とも云われています。
神道碑から左へ進むと大久保の墓。
「贈右大臣正位大久保公墓」。
大久保利通の墓。
薩摩藩士大久保利世の長男に生まれ、
西郷隆盛ら改革派と共に活動し、
国父島津久光に引き立てられると、
公武合体運動の推進で活躍しました。
後に公武合体から武力討幕に移行し、
王政復古の大号令発布を実現。
明治維新の指導者となって、
内政の中枢を握っており、
版籍奉還及び廃藩置県を断行します。
岩倉具視特命全権大使の副使となり、
米欧先進諸国を視察しました。
帰国後は国力充実が必要として、
征韓論に反対して西郷らを下野させ、
参議内務卿として独裁体制を築き、
各地の不平士族の反乱を鎮圧。
西南戦争で旧友西郷隆盛を葬り、
独裁政治を進めますが、
紀尾井坂の変で暗殺されています。
「贈右大臣大久保公夫人増子君墓」。
大久保の妻満寿子の墓。
薩摩藩士早崎七郎右衛門の次女で、
大久保の妻となって、
京都と薩摩を行き来する夫を支え、
大久保との間に四男一女を儲けています。
維新後も鹿児島に住んでいましたが、
鹿児島での大久保の立場が怪しくなった為、
明治7年より上京して大久保と暮し、
大久保が暗殺された半年後に、
後追うように死去しました。
墓所は青山霊園1種イ2号15-19側。
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