谷中霊園にある玉乃世履の墓所。
体感ですが青山霊園は巨大な墓碑が多く、
谷中霊園はそれに比べて小さい気がします。
そんな中で玉乃世履の墓は見上げる程高く、
かなり目立った存在。
「大審院長従三位勲二等玉乃世履墓」。
玉乃は岩国領吉川家家臣桂脩助の子で、
藩校養老館に学んで頭角を現しており、
学頭であった玉乃九華の死後に跡を継ぎ、
玉乃姓を名乗っています。
慶応2年には農民を集めて北門団を組織し、
洋式操練を施して芸州戦争を戦い、
更に日新隊を率いて鳥羽伏見の戦いに参加。
維新後は新政府に出仕し、
会計官判事試補、民部官判事試補、
民部官聴訟司知事を務め、
司法省に出仕し司法権大判事に就任します。
明治8年に大審院が設置されると、
三等判事に任じられており、
二等判事を経て初代大審院長に就任。
紀尾井坂の変では臨時裁判所を開設し、
判決案を作成しました。
明治12年に司法大輔兼元老院議官、
治罪法草案審査委員を務めた後、
明治14年には再び大審院長となります。
福島事件では高等法院裁判長を務め、
河野広中らを軽禁獄に処しました。
明治19年に謎の自殺を遂げており、
その動機には諸説が唱えられています。
「大審院長玉乃君碑」。
さくら通りに面する顕彰碑。
こちらは天王寺墓地の敷地内です。
墓所は谷中霊園甲9号17側。
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岩国藩吉川家の居城跡。