谷中霊園にある浜田藩家老河鰭家の墓所。
「河鰭家墓所」。
河鰭家の墓所。
中央に[偲]と刻まれた新しい墓碑。
その右隣は累代墓で、
左隣は河鰭景岡の顕彰碑です。
[濱田藩宰河鰭君碑誌銘]となっており、
岡千刃による撰文と子の河鰭齊の書で、
井亀泉こと酒井八右衛門の彫刻。
後ろ側の墓は景岡夫妻の墓と、
長男河鰭齊夫妻の墓です。
「智照院俊機舒嘯居士 河鰭景岡之墓(左)」、
「河鰭景岡君配渡邊氏孺人墓(右)」。
浜田藩家老河鰭景岡の墓と、
その妻渡邊氏の墓。
河鰭景岡は近習頭河鰭景行の長男で、
下落する浜田藩札を整理して評価され、
江戸藩邸及び大坂藩邸の経費を削減し、
国許の財政改革も成功させ、
産業奨励、武備の充実も成し遂げ、
慶応元年に家老職に任じられました。
明治29年、死去。
「従四位勲四等 河鰭齊之墓(左)」、
「河鰭齊配松倉氏美知子墓(右)」。
浜田藩は石州戦争で国を追われ、
飛地鶴田で鶴田藩を立藩。
景岡の隠居で家督を継いだ河鰭齊が、
鶴田藩権大参事となっています。
廃藩後は会計検査院に出仕し、
少書記官を経て累進し検査官を務め、
大正5年に死去しました。
墓所は谷中霊園甲14号右1側。
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