麟祥院にある菰野藩土方家の墓所。
菰野藩土方家の江戸菩提寺だったようです。
「通霄院殿従五位下玄峯孤順大居士」。
3代藩主土方雄豊の墓。
初代土方雄氏の次男土方氏久の三男で、
2代土方雄高の娘を娶って継嗣となり、
義父雄高の死去に伴い家督を相続。
江戸で火消し大名として活躍しており、
4代将軍徳川家綱に表彰された他、
増上寺刃傷事件で改易された内藤家から、
鳥羽城の接収を行っています。
「大岑院殿前丹州太守賢徳養浩大居士」。
5代藩主土方雄房の墓。
4代土方豊義の長男として生まれ、
父の死に伴い家督を相続。
藩士に学問を奨励するなどしており、
31年の治世の後に隠居しました。
「永源院殿前備州太守仁英紹劫大居士」。
6代藩主土方雄端の墓。
4代豊義の次男として生まれ、
兄雄房の養子となって家督を相続。
新しい家中諸法度を制定し、
先代同様に学問を奨励しました。
7代藩主土方雄年の墓もあるらしいのですが、
探しても見当たりませんでした。
「霊光院殿前京兆尹一灯自照大居士」。
9代藩主土方義苗の墓。
6代雄端の三男木下俊直の次男で、
※日出藩木下家の分家旗本。
8代雄貞の死去に伴い末期養子となります。
幼少の為に隠居の雄年が後見となり、
その死まで実権を握られますが、
雄年の死後に実権を得るようになり、
破綻寸前の藩財政の再建に乗り出し、
質素倹約や経費節減、
年貢米の備蓄などを行い、
一連の政策で財政再建を成し遂げます。
「見龍院殿前殿中監懿徳同応大居士」。
10代藩主土方雄興の墓。
9代義苗の長男に生まれ、
父の隠居に伴い家督を相続します。
藩校修文館を設立して学問を奨励しますが、
僅か3年で病死してしまいました。
「寛裕院殿前京兆尹天然自得大居士」。
11代藩主土方雄嘉の墓。
10代雄興の長男として生まれ、
父の死去に伴い家督を相続。
病弱であった為に祖父の義苗や、
一門土方義行が藩政を取り仕切っています。
彼らにより質素倹約や軍備増強など、
しっかりと藩政を担っていましたが、
雄嘉は安政5年に死去しています。
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