麟祥院にある遠藤謹助の墓。
遠藤謹助は長州ファイブのひとりです。
「松雲院殿傭庸山志信大居士」。
造幣の父遠藤謹助の墓。
長州藩大組遠藤彦右衛門の次男で、
幼少期については不明ですが、
文久3年に井上聞多、山尾庸三、野村弥吉、
伊藤俊輔と共に英国に留学し、
University College London法文学部へ入学。
井上と伊藤は長州藩の攘夷戦を報を受け、
直ちに帰国していますが、
遠藤ら3人は残って勉学に励みます。
慶応2年に帰国すると通訳を務め、
明治2年より新政府に出仕し、
造幣局で紙幣の発行に尽力。
造幣技師トーマス・キンドルと対立し、
明治7年に造幣局を離れていますが、
明治14年に再び造幣局に出仕し、
以後外国人技師に頼らない造幣を目指し、
11年もの間造幣局長として活躍。
桜の通り抜けを開放したのは遠藤という。
明治26年に死去しています。
長州ファイブの墓所参拝は、
4人まで終了しました。
あと一人は山尾庸三なのですが、
彼の墓は品川の海晏寺で墓所は非公開です。
■関連記事■
・東京都港区 長谷寺/井上馨墓所
外交の父井上馨の墓所。
・東京都品川区 東海寺/井上勝墓所
鉄道の父井上勝の墓所。
・東京都品川区 伊藤博文墓所
法律の父伊藤博文の墓所。