佐賀県佐賀市 佐賀宿跡②

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つづき。

佐賀宿龍造寺八幡宮から東へ。


佐賀市街東側周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが佐賀宿跡(東側)。


佐賀宿全体。


龍造寺八幡宮」。
文治3年(1187)に龍造寺季家が、
鎌倉鶴岡八幡宮の分霊を勧請し、
村中城内に創建された八幡宮。
後の佐賀城築城の際に遷座しており、
現在地近く(少し南側)に移転されて、
佐賀城の鎮守となっています。
現在は往時より少し北側に移動し、
長崎街道が境内を通っていますが、
本来は八幡宮の北側が街道筋で、
八幡小路と呼ばれていたようです。


中町」。
前回は多布施町まででしたが、
そこから龍造寺八幡宮までが中町
この中町の直線道が一番長い道でした。

八幡宮に戻って東側へ。

札の辻」。
八幡小路の東側に高札場がありました。
現在は道も変わっていますが、
写真の辺りにあったようです。


白山町」。
菓子屋が多かったという白山町
現在は商店街となっており、
東側はアーケードとなっています。
城下では最初期に整備された町で、
旅人の目にも第一の町と映ったという。


街道は白山町を進み南折しますが、
往時の道は商業施設となっており、
道は無くなっています。


元町」。
元々は白山元町と呼ばれた元町
米取引所や町人の税納付所が置かれ、
城下民政の拠点となっていました。
駅場(継場)も置かれ4軒の旅籠が軒を連ね、
脇本陣となった2寺もありました。


称念寺」。
脇本陣を務めた浄土宗の寺院。
山号は白山となっており、
白山町の由来となったお寺で、
宗門改めが行われた場所でもあります。


願正寺」。
同じく脇本陣だった真宗本願寺派寺院。
関ヶ原西軍に属して敗戦した鍋島家を、
西本願寺准如が保護したとされ、
この恩義に報いる為に建立されました。
初代藩主鍋島勝茂は寺領400石を与え、
領内の真宗寺院をすべて西本願寺派とし、
願正寺を法頭職としたようです。


呉服町」。
元町から南下すると呉服町
この吾服町に御茶屋(本陣)が置かれました。


道標」。
呉服町に現存する道標
市内には3つしか現存していません。


道標より東側へ。
ここから晒橋までが呉服町。


本陣跡」。
始め願正寺と称念寺が仮本陣とされますが、
寛政12年(1800)に野口恵助邸を借り受け、
これを改修して本陣としたようで、
後に隣接地も買収して敷地を拡げ、
本陣屋敷として整備したようです。


柳町」。
片田江竪小路を越えると柳町
柳町景観形成地区となっており、
西側には旧家が状態よく残っています。


上今宿町」。
柳町を進んで南下すると上今宿町
この辺りも旧家が残っています。


思案橋」。
東へ曲がって少々進むと思案橋
思案橋の名は遊里によくありますが、
南に行けは室園遊郭に至りますので、
これに由来するものと思われます。
この辺りは様々な商家が軒を連ね、
城下で屈指の賑わいを魅せた場所でした。


荷揚場遺構」。
思案橋の横にある荷上場跡。
上今宿町の繁栄は紺屋川の舟運により、
多くの物資が運び込まれた為。
この荷上場の遺構は状態よく残り、
往時の雰囲気を伝えてくれます。


道標」。
思案橋を越えて牛島町を進むと、
牛島構口に至ります。
この道標も現存する貴重なもの。


牛嶋構口跡」。
現在は直進で構口橋に至りますが、
往時は枡形で少し南側に橋が掛かり、
橋の内側に構口と番所が設置されました。

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■関連時期■
佐賀県佐賀市 久保田宿跡
 佐賀宿の西にあった間宿跡。
佐賀県小城市 牛津宿跡
 長崎街道の13番目の宿場跡。
佐賀県杵島郡 小田宿跡
 長崎街道の14番目の宿場町。