桂山寺跡にある赤山靱負の墓所。
島津忠隣の墓より手前で左に進み、
少し歩くと数基の墓が現れます。
「日置島津家墓所」。
日置島津家の分家筋(赤山家)の墓所。
日置家6代当主島津久竹が隠居した際、
弟の久近に板鼻家、次男久辰に赤山家、
三男久英に山岡家を分家をして創設させ、
これが分家筋として続きました。
日置島津家は一所持大身分筆頭で、
藩内でも特別な待遇を与えられており、
これら分家も藩の重役に就いています。
「赤山靱負墓」。
赤山靱負の墓。
日置島津家12代当主島津久風の次男で、
兄は13代当主島津久徴、
弟には田尻岑九郎や桂久武がいます。
赤山家の家督を相続して藩に出仕し、
軍役方掛等の要職に就任。
次期藩主就任問題では島津斉彬を推し、
早期の家督相続を画策しており、
次期藩主の対抗馬である島津久光や、
その母お由羅の方の暗殺を企てたとして、
斉彬派の粛正が行われ、
徹底した弾圧が行われました(お由羅騒動)。
靱負も斉彬派重鎮として切腹となり、
嘉永3年3月4日に死去しています。
赤山家に出入りしていた西郷吉兵衛は、
靱負の血染めの肌着を形見に貰い受け、
子の西郷吉之助に与えたとされます。
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