盛岡藩の藩校は寛文年間に創設され、
御稽古所として城内に設置されました。
その後の慶応元年に作人館と改称し、
現在の中央通りに移転。
和漢一致の教育方針のもとで、
校内に大国主命と孔子を祀ったという。
明治5年に作人館が廃校となると、
祀られた孔子像は助教太田代恒徳により、
私塾で保管されていましたが、
太田代が盛岡を離れることとなった際、
門人の瀬山陽吉に託されます。
瀬山は孔子像を自宅に保管した後、
大正4年に有志と共に聖堂建立を計画。
この最初の計画は失敗しますが、
昭和8年に再度聖堂建立を計画し、
有志より寄付金を集めて、
昭和11年に完成させました。
「盛岡聖堂」。
珍しい中国風の廟堂。
扉は閉められてはいますが
中に作人館の孔子像があるようです。
毎年10月25日に公開されるようで、
像はケヤキ材の寄木造りの彫刻で、
中華の礼服で椅子に着座しているという。
15代藩主南部利剛が京都で作らせ、
藩校作人館に祀らせたものとのこと。
場所の正式な行き方が判らず、
近くを歩いている人に尋ねると、
その辺から行けばいいよというので、
畑のような場所を通って行きました。
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