観龍寺は倉敷にある真言宗寺院。
約1000年前より倉敷市西岡で創建し、
当時は宝積寺と称していました。
文禄3年(1594)に現在地の南側に移り、
更に寛永元年(1626)に現在地に移動。
その際に寺名を観龍寺に改めています。
「参道石段」。
観龍寺は倉敷美観地区北の鶴形山にあり、
参道石段の横に鶴形山随道が掘られ、
鶴形山が南北に貫かれています。
「山門」。
明和5年(1768年)に建立の山門。
慶応2年の倉敷浅尾騒動の際、
倉敷代官所を襲った襲撃勢が立て籠もり、
この山門に槍傷を付けています。
左側の通用口の鴨居にある傷。
襲撃勢が観龍寺に集結した際、
血気に逸って付けたもの。
「本堂」と「大師堂」。
本堂は二度消失しているようで、
現在のものは寛延2年(1749)の再建です。
隣の大師堂も享和年間(1801-1804)の再建。
第二奇兵隊幹部立石孫一郎は、
隊士らを扇動して脱走。
慶応2年4月10日に倉敷代官所を襲撃し、
代官所の雇人らを殺傷しています。
襲撃勢は観龍寺に一時立て籠もり、
小休止した後に浅尾陣屋に向かい、
陣屋を焼き打ちしました。
その後に幕府軍の追討が行われ、
襲撃勢は瞬く間に壊滅。
仮に観龍寺に立て籠もったままなら、
幕府軍の追討で観龍寺は焼かれ、
門の傷だけでは済まなかったでしょうね。
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前回訪問時の記事。