四天王寺は天王寺区にある和宗総本山。
聖徳太子建立七大寺の一つで、
天台宗に属していた時期もありましたが、
宗派にこだわらない全仏教的な立場から、
和宗として立宗したという。
蘇我馬子の法興寺(後の飛鳥寺)と共に、
本格的な仏教寺院としては日本最古のもの。
「南大門」。
推古元年に創建された南大門で、
現在のものは昭和60年11月に再建。
四天王寺の南側の入口であり、
正門にあたる重要な門です。
「中門」。
南大門を通ると現れる中門。
中心伽藍の南端の入口であり、
脇の間に仁王像を祀っている為、
仁王門とも呼ばれています。
中心伽藍は南から北へ中門、五重塔、
金堂、講堂を一直線に配置し、
中門と講堂は左右で回廊でつながており、
これが四天王寺式伽藍配置とされます。
残念ながらこれらは災害や空襲で破壊され、
近代以降に再建されたもの。
「五重塔」。
聖徳太子が六道利救の悲願を込め、
塔の礎石心柱に仏舎利六粒と、
自らの髻髪六毛を納めたとされ、
[六道利救の塔]とも呼ばれる五重塔。
内部には釈迦三尊の壁画と、
四天王の木像が祀られています。
現在の塔は8代目で昭和34年の再建。
「金堂(本堂)」。
本尊救世観音菩薩を祀る金堂。
本尊の四方を四天王が守護しています。
昭和36年再建。
「講堂」。
金堂の裏手(北側)にある講堂。
堂内西側が[夏堂]で東側を[冬堂]と称し、
夏堂に阿弥陀如来坐像、
冬堂に十一面観音立像を安置しています。
中心伽藍を出て東側の聖霊院へ。
聖霊院は聖徳太子を祀るお堂。
「太子殿前殿」。
聖霊院は太子殿前殿と奥殿があり、
前殿は秘仏の聖徳太子孝養像(十六歳像)と、
太子二歳像を祀っています。
「太子殿奥殿」。
聖徳太子摂政像(四十九歳像)を祀る奥殿。
こちらも秘仏です。
聖霊院を出て六時礼讃堂へ。
「六時礼讃堂」。
昭和期の再建が殆どの四天王寺の中で、
元和9年(1623)に建立されたものが現存。
但し訪問時は修復中でした。
薬師如来坐像と四天王像が安置されています。
西側の西大門へ。
「西大門」。
昭和37年(1962)に再建されたもので、
松下幸之助の寄進とのこと。
極楽の入口とされており、
彼岸の中日に日想観が行われています。
四天王寺は災害で古い建物は失われ、
殆どの建物は昭和期の再建。
とはいえ最古の仏教寺院であり、
院政期の上皇や法皇が度々参詣し、
天台宗の最澄、真言宗の空海、
融通念仏の良忍、浄土宗の法然、
浄土真宗の親鸞、時宗の一遍等、
各宗派の開祖も参籠した仏教の聖地です。
室町末期より応仁の乱、石山合戦、
大阪の陣と幾度も放火されており、
江戸時代に復興を果たしていますが、
落雷や失火による火災も発生。
維新後は神仏分離等の政策はありましたが、
建物は昭和期まで残っています。
しかし昭和9年の台風で中門、五重塔が倒れ、
金堂も大きな被害を受けており、
更に昭和20年の空襲で中心伽羅は焼失。
戦後に順次再建が行われ、
四天王寺は現在に至っています。
無数の困難に遭いながらも、
最古の寺院はこれからも続くのでしょう。
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