京都府京都市 知恩院

知恩院浄土宗総本山寺院。
法然上人が晩年に営んだ草庵を起源とし、
大規模な寺院となったのは、
江戸時代に入ってからでした。
慶長8年(1603)に浄土宗門徒の徳川家康は、
知恩院を母於大の方の永代菩提所と定め、
寺領703石余を寄進。
翌慶長9年(1604)に寺地を拡大させ、
諸堂を造営して大規模寺院としています。
これは次代徳川秀忠徳川家光に受け継がれ、
徳川家の威勢を誇示する事になりました。


三門」。
元和7年(1621)に建立された三門
徳川秀忠の命によって造営されたもので、
五間三戸二階二重門、入母屋造、本瓦葺。
東大寺南大門より大きく、
現存する日本の山門の中で最大のもの。
国宝建築物です。

男坂の石段を登り中段へ。

御影堂」。
寛永16年(1639)に再建された御影堂
家康により造営された初代の御影堂は、
寛永10年(1633)に消失しており
徳川家光によって再建されもの。
こちらも国宝建築物。


唐門」。
御影堂右後ろを行くとある唐門
その奥右は大方丈で左は集会堂です。
唐門は勅使門とも呼ばれており、
 寛永18年(1641)の建立。
大方丈も同年に建立されたもので、
洛中随一の名書院とされました。
集会堂は寛永12年の再建で、
かつては衆会堂と呼ばれていた建物。
明治5年の京都博覧会の会場となっています。
これらは国指定重要文化財


勢至堂及び法然上人御廟参道」。
法然上人御廟のある上段への石段。


石段を登るとある3つの入口。
左は勢至堂及び法然上人御廟で、
右は浄土宗捨世派の本山一心院
正面は墓所への入口です。

左へ(他は別記事とします)。

勢至堂」。
法然上人の住房があった場所で、
知恩院の発祥の地とされます。
境内の建物の中で最も古いもので、
享禄3年(1530)の再建とのこと。
当初は御影堂だったものですが、
現御影堂の建立後は勢至堂となりました。
国指定重要文化財。


御廟拝殿」。
勢至堂境内から石段を登った場所。
法然上人の御廟前に建てられたもので、
宝永7年(1710)の建立。


法然上人御廟」。
 法然上人の遺骨を納めた御廟。
現在の建物は土浦藩主松平信一の寄進で、
慶長18年(1613)に改築されたもの。

知恩院は京都での拠点となる事を想定し、
城塞とも云える堅牢な造りとなっています。
幕末期には尾張藩薩摩藩等、
多くの藩士を率いて上洛した為、
知恩院がその宿所に使われました。

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