楫取素彦旧宅跡の近くには、
山田顕義の誕生地があります。
「山田顕義誕生地」。
幕末期は山田市之允として知られ、
箱館戦争の立役者としても有名です。
戦術の天才であったようですが、
山縣有朋との確執により軍部を離れ、
日本大学の創始者となりました。
「顕義園」。
誕生地は整備されて銅像もあります。
卒業生らの植樹が至る所にありました。
やはり大学を造った人は違いますね。
「山田顕義先生之像」。
銅像ってのは古びて初めて威厳が出ます。
彼は高杉晋作が丙寅丸に乗り込み、
大島沖の幕府艦隊に奇襲攻撃を仕掛けた際、
丙寅丸の砲隊長として参加しています。
晋作や大村益次郎の許で経験を積み、
[小ナポレオン]と称される程、
軍人としての才能を開花させました。
天才晋作と理論派大村の許で働けたことは、
彼のその後に大きく役に立ったのでしょう。
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