四賢候の松平春嶽、伊達宗城、山内容堂、島津斉彬、
水戸の烈候徳川斉昭、肥前の妖怪鍋島関叟など、
幕末の強烈なリーダー藩主はたくさんいますが、
最終的な明治維新の原動力になったのは、
そういうカリスマ藩主の居なかった長州や、
カリスマ藩主の死んでしまった薩摩でした。
現代の会社経営においても、
強烈なリーダーシップを発揮するカリスマ社長の会社は、
急激に成長しますが、頭打ちするところが多い。
強烈なリーダーシップは、図らずも社員の力を削ぎ、
下の者が上手に動けない状況が生まれやすい。
盛者必衰とも感じられますが、
昔のあるTV番組に出演していたカリスマ社長達は、
その8割が破綻しているようです。
破綻した要因は多種多様だとは思いますが、
逆境の際にカリスマ一人で踏ん張りきれなくなったのが、
主な原因でしょう。
日本初のカンパニーである亀山社中(海援隊)も、
カリスマである坂本龍馬の死後に消滅しています。
藩の運営は藩主がリーダーシップを取ることもありますが、
やはり家老や家老に相当する人物が藩を運営することが多く、
当時の身分制度では門閥や一部の上士がそれを担っていました。
なので必然的に人材は限られてくるわけです。
幕末の長州藩が右往左往しながらも、
最終的に勝者となりえたのには、
そういう体質であった他藩とは、
一線を画す仕組みが成り立っていたからでした。
実は長州藩という藩は現代の株式会社と近い体質で、
それが乱世に非常に有効な仕組みがうまく作用したのです。
藩のトップは藩主ですが、会社のトップは社長です。
幕末長州藩の藩主は毛利敬親で、会社でいえば社長で、
先に書いたような強烈なリーダーシップを、
自ら発揮するような人物ではありません。
次席として一門家老がいるわけなのですが、
これは会社でいえば取締役でしょう。
長州藩も一門八家と呼ばれる一門家老家がありました。
他藩であればこれら一門家老が、絶大な権力を持つのですが、
長州藩ではそれほどではありません。
※もちろん権威はあります。
そういう意味でいえば、取締役よりは相談役や顧問に近い。
実際の運営は政務座役などと呼ばれる中老が行いますが、
これは会社でいえば部長、本部長ということになりますが、
長州藩が非常に特殊であったのは、この政務座役には、
ある程度低い身分の藩士でも就任できたことです。
能力が認められれば、中士クラスでも政務座役に抜適され、
下士も能力次第で中士に昇格したりします。
つまり会社でいえば「叩き上げの部長」になれるわけです。
また長州藩では、能力ある者、志のある者、学識ある者などに、
どんどん役を与えて、やらせるという雰囲気があり、
またそういう連中の犯した罪や失敗に非常に寛容で、
少しの罰でもう一度チャンスを与えます。
吉田松陰や高杉晋作などは、
長州藩でなければ、早い時期に死罪となってしまうでしょう。
そういう風土であるから人材が豊富にそろうわけで、
禁門の変や俗論党による粛清という、
他の藩であれば壊滅レベルの人材喪失を経験しても、
十分に立ち直れるわけです。
そういう雰囲気の長州藩において、
「そうせい候」と呼ばれた毛利敬親が藩主になった事により、
長州藩の独自性が最大限に発揮できたのでしょう。
幕末の長州藩というのは、現在の組織運営を考えるうえで、
とても良いモデルケースといえるのではないでしょうか?
■関連記事■
・毛利敬親
偉大なるそうせい候。
・山口県山口市 山口政事堂跡
幕末長州藩の藩庁。
・表高と実高
強い藩は経済力がその根本にあります。