現在の山陽小野田市の厚狭周辺は、
一門家老厚狭毛利家の知行地で、
現在は田舎ながら新幹線の駅もあります。
厚狭毛利家の幕末の当主毛利元美は、
下関攘夷戦時の赤間関海防総奉行でしたが、
外国船への砲撃を躊躇って解任されており、
俗論党政権の加判役を務めていたりと、
良いイメージはありません。
後に正室毛利勅子が女学校の設立に貢献し、
地元の功労者となっている事からも、
影も薄い人物となっています。
高杉晋作のクーデターにより、
正義派政権が誕生すると、
その職を追われて厚狭で謹慎していますが、
対幕府戦では汚名返上の機会と、
家臣達が奮闘していますし、
家臣団は南十一大隊に編入され、
小倉戦争に従軍して戦死者を出しました。
後に元美は家臣戦死者の招魂の為、
知行地物見山山頂に物見山招魂場を創建。
後に厚狭護国神社となって、
地元の英霊を合祀するに至ります。
物見山周辺(厚狭護国神社の場所)。
元々物見山の山頂にあった招魂場は、
参拝に便利な山麓に移され整備されました。
「厚狭護国神社」。
社域は比較的広く社殿も大きい。
英霊を合祀した護国神社の社殿は、
幕末期だけの招魂社より大規模です。
左右に配置された墓碑は476柱。
桜山神社より多いです。
右手側の墓碑群。
左手側の墓碑群。
整然と並ぶ墓碑は壮観ではありますが、
地域に戦死者が多かったということ。
これらの墓碑のほとんど全てに[陸軍]、
若しくは[海軍]と頭に刻まれています。
つまり明治以降の戦死者ということ。
見渡す限り陸軍や海軍と刻まれていて、
小倉での戦死者がなかなか見当たらない。
・・で、やっと見つけました。
左手側の最後列の左側。
左手前より、
「原田政之進興家神霊」、
「二歩荘之介源忠恭神霊」、
「小野萬蔵橘正忠神霊」、
「○道静間禰壽太政武神霊」、
「山田捨之進橘○義神霊」、
「陸軍軍夫国弘熊吉」、
「弘岡三吾幸哉神霊」、
「桑原玄播○真○神霊」。
他の招魂場と同様に後ろが古いものでした。
今回の物見山招魂場を訪問した事で、
長門国の招魂場は全て巡りました。
あとは周防国の招魂場なのですが、
下関からはなかなか遠いんですよね~。
■関連記事■
・山口県萩市 萩市護国神社
第一大隊及び第四大隊等の戦死者を招魂。
・山口県山口市 朝日山招魂社
久坂玄瑞、入江九一らの墓碑もあります。
・山口県宇部市 船木護国神社(再訪)
船木宰判によって建立された招魂社。