三重県桑名市 箱館新選組隊士の墓を巡る

桑名市での仕事で昼休みを利用して墓参り。
箱館新選組には多くの桑名藩士が在籍し、
周辺には隊士の墓所が点在しています。


桑名市萱町周辺(法盛寺/十年寺/善西寺の場所)


法盛寺」。
西御坊と呼ばれる浄土真宗本願寺派の大寺。
末寺200ヶ寺を抱えていたという。


高木家之墓」。
神戸四郎(高木貞作)の墓。
桑名藩士高木貞烈の次男として生まれ、
藩主の御小姓役を勤めています。
戊辰戦争では松平定敬に従って柏崎に入り、
恭順派家老吉村権左衛門を主命により殺害。
北越戦争に従軍して庄内で降伏しましたが、
後に蝦夷へ渡って蝦夷共和国に合流し、
箱館新選組に入隊しています。
戦後は商法を学び銀行員となりました。
昭和8年、死去。

御影石の新しそうな墓石なので、
作り変えられた墓石かと思いましたが、
昭和に入ってから亡くなったから。
神戸四郎というのは変名で、
本名は高木剛次郎貞作

しっかり貞作と刻まれています。

次は十念寺。

十念寺」。
箱館新選組からの検索でしたので、
この寺が森陳明の墓所であるという事を、
帰ってから知るという失態・・・。
寺の門前にも「桑名義士森陳明翁墓所」と、
大きく刻まれた石柱が立っていたのに・・。


成瀬家之墓」。
成瀬杢右衛門正通(山崎八蔵)の墓。
松平定敬が京都所司代に就任すると、
森陳明と共に藩の公用人を務めました。
鳥羽伏見の戦いの後に彰義隊に参加し、
彰義隊が瓦解すると江戸に潜伏。
外国船で江戸を脱出して仙台へ渡り、
藩主松平定敬と合流しています。
山崎八蔵を名乗って新選組会計方を務め、
弁天台場で降伏して以後の動向は不明。
明治35年に死去。
隣の成瀬正直は父親です。

ちょっと離れて善西寺。

善西寺」。
住職がグリーフサポートをしているという。
これは死別による悲しみから、
遺族の立ち直りを支援する事らしい。
本来のお坊さんの役割ですね。


不退院釋興詮勝行居士」。
関川代次郎の墓。
定敬の京都所司代就任に伴い、
京都勤番となっており、
禁門の変などにも参加しています。
戊辰戦争では北越や会津を転戦して、
仙台で同志十七名とともに新選組に入隊。
西南戦争では新選旅団員として出征。
以後は三重県尾鷲警察署に勤務しています。
明治42年、死去。

この3寺と前記事の顕本寺を廻って終了。
この時期の史跡散策は日差しとの戦いです。

■関連記事■
三重県桑名市 桑名城跡
 桑名藩久松松平家の居城。
三重県桑名市 顕本寺/服部半蔵墓所
 桑名藩家老服部半蔵家の墓所。
東京都日野市 石田寺/土方歳三墓所
 新選組鬼の副長土方歳三の墓。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です