譜代藩は藩主の墓所が領内に無い事が多く、
龍野藩も同じく墓所は江戸だったのですが、
9代脇坂安宅と10代脇坂安斐の墓は、
龍野領内の小宅寺にあります。
「小宅寺」。
脇坂家の祈願寺。
領内には菩提寺の如来寺もありますが、
何故ここが墓所になったのかは不明。
「正三位勲二等紫原和墓」。
龍野藩士紫原和の墓。
本堂の真後ろにあります。
紫尊攘派の藩士で藩論を勤皇に導いた人物。
維新後は新政府に出仕して初代千葉県令や、
貴族院勅選議員などを務めました。
「脇坂家墓所」。
墓地の右側の高い位置にありますが、
藩主家墓所といった重苦しさはありません。
「従四位脇坂安宅墓」。
9代藩主脇坂安宅の墓。
寺社奉行や京都所司代を勤め、
嘉永7年の京都御所の火災復旧の功績で、
孝明天皇より茶室を拝領しています。
安政4年に老中に昇進しており、
日米修好通商条約で署名していますが、
桜田門外の変後に辞任して隠居しました。
「正三位子爵脇坂安斐墓」。
10代藩主脇坂安斐の墓。
津藩11代藤堂高猷の四男として生まれ、
9代安宅の養嫡子となって家督を相続。
朝敵となった長州藩には同情的で、
降伏条件遂行が困難であると上奏し、
再征にも反対して病気を理由に出兵を辞退。
新政府への恭順もスムーズに行われました。
安斐の写真も残っていますが、
なかなか男前な藩主だったようです。
多くの藩主家墓地を訪問していますが、
歴代藩主の墓があるが幕末の藩主のみ東京
のパターンは多いのですが、
歴代藩主の墓は東京で幕末の藩主は元所領
というパターンは意外に少ない。
地元で脇坂家に敬愛の念が残るそうですが、
なんとなくわかるような気がしますね。
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・兵庫県たつの市 龍野城跡
龍野藩藩主脇坂家の居城。
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藩祖脇坂安治は賤ケ岳の七本槍のひとり。
・兵庫県姫路市 姫路城
龍野藩は姫路討伐に参加しています。