姫路藩の藩庁である姫路城は「国宝」であり、
「ユネスコ世界文化遺産」。日本を代表するお城です。
国宝は良いとして、ロビー活動で決定される世界遺産は、
僕はとっても胡散臭いなと常々思っているのですが、
登録される事によって外国人観光客が増える訳ですから、
それはそれで悪い事ではないのでしょうね。
城や陣屋の多くが不要であるとして競売・解体される中、
姫路城も競売に掛けられますが、解体されませんでした。
大きすぎて解体が困難だったという説や、
保存を目的で落札されたという説がありますが、
真相はよくわかりません。
その後、姫路城を保存しようという動きが起こり、
「明治の大修理」が行われて保存される事となりました。
そして昭和に入って「昭和の大修理」が行われるのですが、
太平洋戦争によって中断。白い姫路城は大変目立つために、
空爆対象となりかねませんでしたが、
黒く染められた網で全体を覆い隠し爆撃を避けています。
終戦後に修理が再開されて、昭和39年に完了。
世界遺産登録を経て、最近完了した「平成の大修理」によって、
現在の純白の容姿となっています。
大手門駐車場に車を止め、姫路城天守閣を目指します。
外国からの旅行者らしき人達が多く、
さすが世界遺産といったところ。
信号待ちで一枚。遠くに天守が見えます。
遠くからなら何度か見てるのですが、
近くで見るのは今回が初。
「大手門」。
この大手門は江戸時代のものではなく、
実は昭和13年に建てられたもので、
当時とは場所も形も違うらしい。
ですが、昭和13年といえば築79年ですので、
十分に年期は入ってますね。
で、門をくぐるをドーンと天守閣が見えてみます。
これはテンション上がりますね。
「姫路城 連立天守群」。
さすがに美しい。見る価値アリです。
が、中へは入らずに終了。
時間がありませんでしたので・・・。
姫路藩は雅楽頭系酒井家が治める15万石譜代藩。
幕末の姫路藩は、勤皇・佐幕が対立していましたが、
大老にも就任している8代藩主酒井忠績は、
「甲子の獄」と呼ばれる勤皇派の粛清を行い、
藩論を佐幕に統一。忠績は慶応3年に隠居しますが、
次代の酒井忠惇も老中となり佐幕を継承し、
鳥羽伏見の戦いに臨みますが、敗
れて姫路藩は朝敵となってしまいます。
跡を継いだ酒井忠邦は恭順の姿勢を示し、
佐幕派家臣を大量処分して、
新政府に15万両の献金を行って許されました。
もし仮に、姫路藩が徹底抗戦の構えを貫いていたならば、
姫路城攻撃が行われ、アームストロング砲などにより、
この美しい天守に無数の穴が開いていたかもしれませんね。
【姫路藩】
藩庁:姫路城
藩主家:酒井雅楽頭宗家
分類:15万石、外様大名
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