群馬県前橋市 龍海院/姫路藩酒井家墓所

酒井家徳川家(松平家)最古参の家臣で、
三河国坂井郷出身の豪族であったという。
出自には諸説あるようで、
松平家と同族の清和源氏とも、
安芸毛利家同様大江広元末裔ともされます。
酒井広親の代に松平宗家に仕え、
広親の長男酒井氏忠の系譜が左衛門尉家
次男酒井家忠の系譜が雅楽頭家を名乗り、
※始め雅楽助、後に雅楽頭を名乗る。
江戸時代に両家併せて9家の大名家を出し、
※のちに2家が改易。
譜代大名として幕政に重きを成しました。

龍海院はこのうち雅楽頭宗家の菩提寺で、
元々は松平清康岡崎城下に創建。
雅楽頭家5代酒井正親に外護が命じられ、
以後は雅楽頭家の菩提寺となります。
雅楽頭家が川越に移封した際には、
龍海院も川越に移っていたようで、
前橋に転封されると再び移転しました。

しかしその後の姫路転封の際には移転せず、
領地から離れながらも菩提寺であり続け、
以後の姫路藩主もここに葬られています。


本堂」。
本堂は文政年間(1818-1830)の再建で、
位牌堂に歴代の位牌が安置されています。
本尊は釈迦三尊像


前橋藩主酒井氏歴代墓地」。
本堂南側の墓地にある歴代墓所。
流石は大老四家歴代墓所といった規模です。


倄賡院殿傑叟源英大居士(右)」
臨川院殿実継良朴大姉(左)」。
前橋藩初代藩主酒井重忠と正室の墓。
徳川家康に仕え主要な戦に参戦した他、
伊賀越えでは岡崎城留守居役を務めており、
伊勢に辿り着いた一行を出迎えています。
家康の関東移封には川越1万石を与えられ、
江戸城の留守居役などを務めました。


前橋藩二代酒井忠世の墓(右)」、
前橋藩三代酒井忠行の墓(左)」。
前橋藩2代酒井忠世、3代酒井忠行の墓。
この二人のみ宝塔型の墓です。
忠世は重忠の長男として生まれ、
2代将軍徳川秀忠の側近となり、
父とは別に所領を与えられて加増を受け、
重忠の死去によって家督を継ぐと、
あわせて8万5千石を領する事となります。
世継である徳川家光年寄衆となり、
後に大老に就任しますが間もなく死去。
3代忠行も父と別に所領を与えられ、
忠世の死去で家督を継いで、
15万2500石の大領となりますが、
忠世の後を追うように胃病で死去しました。


故従四品羽林源成君之墓(右)」、
故従四品羽林次将
 酒井雅楽頭忠挙厦君之墓(左)」。
前橋藩4代酒井忠清、5代酒井忠挙の墓。
忠清は祖父、父が相次いで死去した為、
遺領のうち10万石のみを相続しますが、
後に大老に就任して15万石に加増され、
下馬将軍と評される権勢を誇りました。
5代忠挙は忠清の長男に生まれ、
父の隠居で家督を相続。
2万石を弟の酒井忠寛に分与しています。
5代将軍徳川綱吉の代には冷遇されますが、
後に8代将軍徳川吉宗に優遇されて、
藩政でも良君であったとされています。
忠挙以前の前橋は厩橋と呼ばれていますが、
これを忠挙が前橋と改めました。


従四位下酒井雅楽頭忠相君墓(右)」、
故従四品酒井雅楽頭
 親愛府君之墓(中)」、
故従四品拾遺酒井雅楽頭
 親本府君之墓(左)」。
前橋藩6代酒井忠相
7代酒井親愛、8代酒井親本の墓。
忠相は父忠挙の隠居で家督を継ぎますが、
僅か3ヶ月で病死してしまいます。
家督は若年ながら忠相の嫡男親愛が継ぎ、
隠居していた忠挙が後見。
親愛は病弱で子供が無かった為、
親族の敦賀藩酒井家より親本が養子に入り、
親愛の隠居で親本が家督を継ぎますが、
親本も子供が出来ませんでした。


故従四品羽林次将
 酒井雅楽頭忠恭府君之墓(左)」、
故従四位下雅楽頭兼
 侍従源朝臣忠以府君之墓(右)」。
前橋藩9代/姫路藩初代酒井忠恭および、
姫路藩2代酒井忠以の墓。
先代藩主の親本に子供が出来なかった為、
弟の忠恭が養子となって家督を相続。
老中首座を務めて姫路藩に転封してます。
2代は忠恭の孫酒井忠以が家督を相続。
茶道に才能ある人物だったという。


故従四位下主計頭
 源朝臣忠道府君墓(左)」、
故従四位下少将
 姫路城主源謙光公之墓(中)」、
故従四位下少将
 姫路城主源祗徳公之墓(右)」。
左から姫路藩3代酒井忠道
5代酒井忠学、4代酒井忠実の墓。
順番に並んでいるかと思いきや、
4代と5代が逆になっています。
これは4代忠実が隠居した後、
5代忠学の方が先に死去した為。
3代忠道は河合寸翁を登用して改革を進め、
領民の救済や特産品の専売制導入、
木綿の栽培などを奨励し、
困窮していた藩財政を再建させました。
忠道の子の忠学は幼少であった為、
弟忠実が家督を継いで4代藩主に就任。
隠居後に兄の子である忠学に家督を譲り、
実子らは他藩に養子に出されています。
上田藩6代藩主松平忠固
 横須賀藩7代藩主西尾忠受
 田原藩11代藩主三宅康直

 旗本酒井忠讜など。


故従四位下侍従姫路城主源緝光公之墓」。
姫路藩6代酒井忠宝の墓。
4代忠実の実子旗本酒井忠讜の長男で、
宗家に継嗣が無かった事から、
5代忠学の婿養子となり、
忠学の死去に伴い家督を継ぎましたが、
25歳の若さで病死しています。


故従四位下権少将
 姫路城主源朝臣魏公之墓」。
姫路藩7代酒井忠顕の墓。
龍海院に葬られた最後の藩主ですが、
傾いた墓石には支えが設置されています。
田原藩11代三宅康直の長男でしたが、
酒井家の血を引いていた為に婿養子となり、
6代忠宝の死去に伴って家督を相続。
しかし彼も男子に恵まれませんでした。

8代は旗本酒井忠誨の長男酒井忠績が継ぎ、
幕府最後の大老となるのですが、
忠績は染井霊園に葬られています。
近年に無縁墓となり管理料が未払いとなり、
墓石の撤去が検討されているという。
素人目にはこの龍海院か、
現在の墓所である谷中霊園に、
これらを改葬するのが良いと思いますが、
法律的な事もあって難しいのかな??
良い風に解決してくれることを望みます。

さて、この龍海院には酒井雅楽頭宗家の他、
伊勢崎藩酒井家の墓もありますが、
それについては次回の記事で。

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