安部公房の「榎本武揚」。
以前から気になっていたので、
長期出張前に図書館で借りて読みました。
北海道旅行に行った「私」は旅館の主人から、
消えた囚人300名の伝説を聞く。
護送中に脱走して共和国を創ろうとしたという。
その囚人らに関わった榎本武揚を主人は尊敬。
主人は元憲兵で義弟を通報する等忠節を尽くし、
非難の目を向けられていましたが、
戦後は商売で成功してのうのうと暮らしている。
これを榎本の生き様と重ね合わせていました。
その1年後に主人より手紙と古文書が送られ、
衝撃の事実が語られるに至ります。
それは浅井十三郎の榎本暗殺計画の顛末で、
後に主人は失踪したという。
浅井は新選組に入隊して土方歳三に近習。
土方らは大鳥圭介の幕軍と合流しますが、
大鳥はわざと負けるような不審な采配をし、
榎本の幕府艦隊との合流を目指します。
土方はこれに感づきますが証拠は掴めず、
仙台で榎本と会談するに至りますが、
榎本の巧みな話術で煙に巻かれ、
尻尾を掴めぬまま蝦夷で陸軍奉行並に就任。
その後、新政府との戦いで土方は戦死し、
浅井はこの戦いそのものが八百長戦争で、
榎本と大鳥の仕組んだものと断定。
自分を含む五人の暗殺者で五人組を結成し、
辰の口の収監された榎本の殺害を計画します。
しかし守備悪く計画が露見し、
暗殺者は榎本の牢で罪状を訴えると、
榎本はあっさりとこれを認め、
周りも驚く中で自らの正当性を語り始める。
内容はまあこんな感じなのですが、
単なるフィクションではなく、
作者が考えた一説のようなもので、
これを論文ではなく小説とする事が、
小説家の罪といったところでしょうか?
戊辰戦争が八百長であったとなっていますが、
それはそれで榎本を買いかぶり過ぎでしょう。
小説を読むと「私」や主人、浅井ではなく、
やはり魅力を感じるのは土方であり、
ラスボスである榎本なのですが、
語り部に近い「私」は別としても、
主人、浅井は双方共に胡散臭い。
最終的に消えた囚人300名の伝説は、
辰の口の収監されていた36名の囚人で、
どういう訳か榎本の裏切りの真相を聞いても、
何故かその口車に乗せられて脱走。
厚岸で共和国を創ろうとしますが、
女子狩りの不首尾から討伐軍の襲来を恐れ、
何処ともへ消えて行きます。
まあなんだか難しい事は言えませんが、
小説でいえば奥羽列藩や幕臣を見殺し、
いけしゃあしゃあと囚人たちを死に追いやる。
この榎本は全くの悪人なのですが、
主人と同じく嫌いになれない。
失踪したのはそれが原因で発狂したのかも?
幕末では土方は常にトップランクの人気。
新選組時代や落日の生き様のカッコよさは、
箱館で戦死した事で完璧を得ました。
ですがここで榎本が自刃などしてたら?
もちろんそれで土方が陰る事はありませんが、
土方以外の幹部が生き残った事で、
さらに光り輝くようになったのも事実。
もし仮に土方が生き残ったとすると、
警察隊や陸軍等に出仕して、
新選組ばりの規律ある警察や軍を創ったり、
もしかしたら汚職など無かったかも?
新政府でも使える人材であったと思います。
変節したのは榎本だけではなく、
多くの者達が新政府に出仕しています。
忠義に殉じたのは土方だけではなく、
多くの若者が忠義に殉じて命を落としています。
両者はその象徴でありますが、
その彼らではない連中は何者か?
作品では、
「忠誠でもなく、裏切りでもない、
第三の道というもの」が、
榎本の進んだ道としていますが、
あえて変節を悪行ではなく道とするならば、
忠節は土方、変節は榎本、双方選んだ道で、
第三の道は人に左右されてしまう我々が、
選んでしまう道なのかもしれませんね。
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