出羽松山城跡を訪問後、
藩主の菩提寺である心光寺へ。
心光寺は浄土宗の大本山増上寺の末寺で、
出羽松山藩酒井家の菩提寺となりました。
「心光寺」。
正面のクロマツは樹齢350とされ、
幹の空洞の2ヶ所から桜の枝が顔を出し、
毎年花を咲かせるという奇木。
「酒井子爵家御廟所」。
本堂左側にある御廟所の入口。
藩主家は子爵家となっていますが、
ここにあったは初~3代までの御廟です。
「酒井家御廟(初代酒井忠恒候御廟)」。
初代藩主酒井忠恒の御廟。
忠恒は現在の新宿区光照寺に葬られ、
心光寺に分骨されて御廟が建てられました。
その後も2~3代の御廟が建てられますが、
4代以降は光照寺に墓が建てられ、
位牌のみが心光寺に祀られています。
昭和44年に御廟の解体修理が行われ、
その際に2代、3代の御廟は取り壊され、
初代忠恒の御廟に合祀されました。
「二代公御廟跡」。
2代藩主酒井忠豫の廟所跡。
忠豫は隠居後に松山で死去しており、
歴代で唯一心光寺に埋葬されました。
跡は少し土が盛り上がっており、
初代の御廟に合祀されたとはいえ、
本墓である為か円墳のようになっています。
「三代公御廟跡」。
3代藩主酒井忠休の御廟跡。
忠休は若年寄に任じられて幕政で活躍。
これによって5千石加増されており、
家格も城主大名とされた為、
松山城を築城して藩庁を移しました。
忠休は将棋の名人だったようですが、
こういう些細な特技が、
出世の糸口になったりします。
忠休は江戸で死去した為に光照寺に葬られ、
御廟には遺髪のみが安置されています。
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松山藩は庄内藩と共に久保田領へ進軍。